587年9月、仏教受容を進める蘇我馬子と、仏教排斥を進める物部守屋との間で起こった戦い。 蘇我軍には厩戸皇子(聖徳太子)も加わっていた。 軍事を専門とする物部軍に対し、蘇我軍は苦戦を強いられたが、守屋が射殺された事により、物部軍は崩壊した。
丁未の変、丁未の役、物部守屋の変ともいいます。仏教の礼拝を ... 丁未の乱」(ていび
- 1先史時代
- 2原史時代
- 2.1弥生時代
- 2世紀後半(? - 189年頃) : 倭国大乱(わこくたいらん、北九州または西日本)
- 3世紀(260年代まで?) : 邪馬台国と狗奴国の抗争(やまたいこく、くなこく 北九州対南九州または西日本対東海・関東)
- 240年代末 - 250年代? : 邪馬台国で卑弥呼死後戦乱の末台与(壱予)が女王(ひみこ、とよ/いよ 北九州または関西)
- 3世紀? - 4世紀? 北九州の倭国と新羅の戦争(わこく、しらぎ 新羅)三韓征伐より前の倭と新羅の戦争を、北九州の倭人の国の新羅侵攻とする説がある[4]。古いものは弥生時代
- 2.2古墳時代(大和時代)
- 4世紀後半 : 北九州の地方国家の新羅侵攻と敗北(しらぎ 新羅)大和朝廷進出直前の事か[5]
- 391年 - 407年(392年 - 408年[6]) : 大和朝廷と高句麗の戦争(倭国と高句麗の17年戦争[7])(やまと/わ、こうくり 高句麗、新羅、百済など)
- 478年 : 倭王武(雄略天皇)が上表文で高句麗との戦争の意思を表明(わおうぶ)
- 3飛鳥時代以前
- 須佐之男命の八岐大蛇退治(すさのお、やまたのおろち 出雲国または安芸国)
- 大国主神による八十神の平定(おおくにぬし、やそがみ 出雲国)
- 建御雷神と建御名方神の争い(たけみかづち、たけみなかた 出雲国)
- 建御名方神と洩矢神の争い(たけみなかた、もりや 諏訪地域)
- 経津主神による葦原中国平定(ふつぬし 出雲の支配地域)
- 神武東征(じんむとうせい 主に近畿地方)
- 健磐龍命の阿蘇派遣(たけいわたつ 肥後国阿蘇地方)九州中部の占領
- 神渟名川耳尊と手研耳命の皇位継承争い(かむぬなかわみみ、たぎしみみ 奈良県)
- 武埴安彦の乱(たけはにやすひこ 奈良県、京都府)大和朝廷の勢力拡張前
- 四道将軍の派遣(しどうしょうぐん/よつのみちのいくさのきみ 会津から吉備や丹後まで)
- 出雲振根(阿多命)を討伐(いづものふるね、あた 出雲国)
- 武五百建命の信濃派遣(たけいおたつ 信濃国)
- 都怒我阿羅斯等の来朝と新羅との争い(つぬがあらしと、しらぎ 日本、任那、新羅)
- 天日槍と伊和大神の争い(あめのひぼこ、いわのおおかみ 兵庫県但馬地方と播磨地方)
- 狭穂彦の乱(さほびこ 大和国)
- 景行天皇の征西(けいこう 九州)
- 倭建命の征討(やまとたける 九州、関東、東北など)
- 仲哀天皇の征西と死(ちゅうあい 長門国、筑前国)
- 神功皇后が田油津媛らを撃滅(じんぐう、たぶらつひめ 筑後国山門郡など)日本統一戦争 の最終戦らしい[8]
- 三韓征伐(さんかんせいばつ/みつのから 韓国)
- 忍熊王・麛坂王の乱(おしくまのみこ、かごさかのみこ 播磨国、摂津国、紀伊国、山 城 国、近江国)
- 大浜宿禰が海民の騒動を鎮圧(おおはまのすくね 不明)
- 武内宿禰を弟が讒言し盟神探湯で決着(たけしうちのすくね、くかたち 九州、大和国)
- 大山守皇子の乱(おおやまもりのみこ 山城国)
- 仁徳天皇が隼総別皇子を誅殺(はやぶさわけのみこ 大和国、伊勢国)
- 上毛野君田道を派遣して新羅征討(かみつけぬ の きみ たぢ 新羅)
- 蝦夷の反乱で上毛野君田道が戦死(たぢ 陸奥国 - 宮城県石巻市?、千葉県いすみ市説も あ り)
- 葛城襲津彦が新羅の美女の誘惑に引っかかり加羅を討つ(かずらき の そつひこ、しらぎ、 か ら 新羅、加羅)
- 武振熊が両面宿儺を討伐(たけふるくま、りょうめんすくな/ふたつら 飛騨国)
- 住吉仲皇子の乱(すみのえのなかつみこ 摂津国、大和国)
- 允恭天皇が玉田宿禰を誅殺(いんぎょう、たまだのすくね 大和国)
- 木梨軽皇子の失脚(きなしのかるのみこ 大和国)
- 安康天皇による大草香皇子の殺害(あんこう おおくさかのみこ 大和国)
- 眉輪王の変と雄略天皇(倭王武)による皇族殺戮(まよわのおおきみ ゆうりゃく 大 和 国)
- 吉備氏の乱(吉備上道臣田狭の反乱)(きびのかみつみちのおみのたさ 任那)
- 吉備下道臣前津屋を誅殺(きびのしもつみちのおみのさきつや 備中国)
- 新羅、高句麗との戦争で大伴談連が戦死(おほとものかたりのむらぢ 新羅)
- 雄略天皇による新羅親征計画(ゆうりゃく)
- 星川皇子の乱(ほしかわのみこ 大和国、備前国、備中国)
- 紀大磐が三韓の王になろうとするが失敗(き の おおいわ 任那、百済)
- 平群真鳥、平群鮪父子を誅殺(へぐりのまとり、へぐりのしび 大和国)
- 527年? - 528年? : 磐井の乱(いわい 筑後国)
- 534年? : 武蔵国造の継承争い(むさしのくにのみやつこ/むさしこくぞう 武蔵国、上 野 国)朝廷に対する反乱ではない
- 540年? : 新羅が任那を併合(しらぎ、みまな 任那)
- 587年? : 丁未の乱(ていび 大和国、河内国)物部守屋の滅亡
- 600年 : 推古朝の新羅征討(すいこ、しらぎ 新羅)
- 643年 : 蘇我入鹿が山背大兄王一族を滅ぼす(そがのいるか、やましろのおおえのおう 大 和国)
- 658年 - 660年 : 阿倍比羅夫の北方遠征(あべのひらふ 東北、渡嶋 - 北海道?)
- 660年頃 : 蝦夷と粛慎の交戦(えみし、みしはせ 渡嶋 - 北海道?)アイヌ人の祖先とオホ ーツク文化人(ニヴフ人か)の戦いか
- 663年 : 白村江の戦い(はくすきのえ/はくそんこう 新羅 - 錦江河口付近)
- 672年 : 壬申の乱(じんしん 大和国、伊勢国、尾張国、美濃国、近江国など)
- 4奈良時代
- 5平安時代
- 6鎌倉時代
- 7建武の新政
- 8室町時代
- 9安土桃山時代
- 10江戸時代
- 11明治