27回 韓国は、中国に責められてる

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紀元前[編集]

 
漢四郡

朝鮮史の始期から、中朝間には深い関係があった。70万年前、朝鮮半島満州地域に人が住み始める[1]。はじめて朝鮮に統一的な勢力を形成したのは、神を信じる部族とクマを崇敬する部族の二つの部族だったという。そして両者が連合して檀君王倹を戴き、檀君朝鮮を建国したという[2]。他方、これは13世紀末に一然が編修した『三国遺事』に初めて現れる神話に過ぎないとの主張もある[要出典]
隣国中国の強大な王朝との関係性から、この檀君朝鮮建国年の紀元前2333年以来日清戦争1895年までの4228年間、朝鮮は中国に支配され続けていたとする記事もある。例えば、スペインの有力紙『エル・ムンド』は、「朝鮮は4228年間にわたって中国の植民地だった」「朝鮮半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していたが、1910年日韓併合までの15年間にわたって独立を味わったりもした」と報道したことがある[3]

武王箕子を朝鮮侯に封じ、箕子がの遺民を率いて東方へ赴き建国したのが箕子朝鮮である。の将軍だった衛満が、衛氏朝鮮を建てるが、に滅ぼされ漢四郡が置かれる。高句麗が興るが、これを中国の地方政権とするか、朝鮮の歴史に含めるかについては議論がある(高句麗#歴史論争:高句麗の歴史帰属をめぐる問題)。

紀元後[編集]

遼東公孫氏が朝鮮を支配し帯方郡を置くが、その後、楽浪郡帯方郡から西晋に引き継がれる。また、朝鮮半島東南部の辰韓は秦からの移民ともいわれる。

高句麗からの攻撃は撃退したが、新羅が同盟(唐・新羅の同盟)を結び、百済高句麗を滅ぼした。

白村江の戦い[編集]

 
高句麗の系統が新羅(後の朝鮮民族の母体)と金(後の満州族の母体)に分割され、渤海の系統が金に発展している

唐は、熊津都督府安東都護府鶏林州都督府を置いて朝鮮全体を支配しようとするが、唐・新羅戦争の結果、唐は撤退し、新羅朝鮮半島中南部を支配する。一方、渤海が興り、高句麗の旧領土の大部分を支配する。渤海については、大韓民国では朝鮮の一部として南北国時代と称しているが、中華人民共和国では中国の少数民族による地方政権とする(渤海 (国)#歴史論争:渤海の歴史帰属をめぐる問題)。新羅は中国の制度を取り入れ、人名も中国風に変えた。張保皐が中国から朝鮮にわたる海上勢力を作った。

10世紀初に唐が滅んだ後、渤海も滅び、高麗新羅に代わる。高麗は渤海からの遺民を多く受け入れた。高麗は五代やに服属していたが、契丹)に攻められ遼に服属する。高麗は渤海が滅んだ後の地にいた女真侵略して領土を北に広げるが、女真を建て遼を滅ぼすと、高麗は金に服属する。

モンゴルによる侵攻後[編集]

高麗は13世紀モンゴル帝国(元)の侵攻を受け支配下に入った。代々の高麗王の世子(世継ぎの太子)はモンゴル貴族皇族婿となって元朝宮廷で暮らし、父の死後、高麗王に任命されるのが習慣となる。高麗王の母は、みなモンゴル人となり、4代の高麗王は元皇帝の娘婿となる。元は高麗を服属させた後に征東等処行中書省(征東行省)を設置し、朝鮮半島全土に及ぶ行政・政治・軍事の執行機関とした。また元は朝鮮半島北西部に東寧府を、北東部に双城総管府を、済州島耽羅総管府を置いて支配した。

元が衰えると独立し、北方の領土を回復した。が興ると高麗に代わって親明を掲げる李氏朝鮮が建国され、明に朝貢した。当初は明から権知朝鮮国事とされ、国王にはしてもらえなかった。李氏朝鮮の国王は、中国皇帝がいる北京の方向に向かって遥拝する望闕礼という儀式を行っていた。李氏朝鮮女真を侵略し、北部に領土を広げた。

大航海時代[編集]

 
大清帝国の使者を迎えるための迎恩門

|16世紀豊臣秀吉に国土の大半を征服されるが、明の救援と秀吉の死去により国土を回復した。17世紀には満洲人が建てたの侵攻を受け、大清皇帝功徳碑を築くなどの屈辱的な条件で降伏し、冊封体制羈縻支配下に入った。しかし朝鮮では「崇明反清」の思想が強く、自らを明の後を継ぐ小中華とし、清をオランケ、野蛮人として侮蔑していた。明が滅び清に冊封されても、私的には崇禎永暦などの明の年号を使い続け、大報壇を作って明の皇帝を祀っていた。朝鮮の一部では清の学問を学ぶ北学も生まれたが、広まる事はなかった。また清から朝鮮にキリスト教(西学)が流入したが、何回も弾圧を受け、多くの犠牲者が出た。

19世紀末には日本、清、ロシア朝鮮半島をめぐって対立する。日清戦争での日本の勝利のおかげで、朝鮮は中国との長きにわたる冊封体制から離脱。国号も、中国によって決められていた朝鮮から、独自に大韓帝国へと変更して独立する。それまでの漢文に変わってハングルが公的に使われるようになる。朝鮮国王は皇帝に昇格し、それまで中国皇帝だけが行っていた祭天儀式を行うため圜丘壇を建てた。また間島などに朝鮮人が移住していった。

日清戦争[編集]

太平洋戦争後[編集]

第二次世界大戦後、朝鮮半島アメリカ合衆国ソビエト連邦分割占領し、大韓民国朝鮮民主主義人民共和国ができた。朝鮮戦争には建国間もない中華人民共和国も参戦し、大きな被害を出した。

国交樹立以後の経済交流拡大で中国は韓国最大の貿易相手国となり、韓国国債の最大保有国にもなるも[15]、一方で蘇岩礁離於島)の領土問題がある。

また、前出の張成沢粛清後を境に中朝関係が停滞しており、北朝鮮の貿易の9割超[16][17]を占めてきた対中貿易への依存は続くも中朝貿易は減少傾向にあり、民間でも度重なる核実験や朝鮮人民軍の脱北兵士による越境犯罪で中朝国境で北朝鮮に対する住民感情や中国世論は厳しくなっており[18][19][20]、中国各地では反北朝鮮デモも起きている[21][22]習近平総書記はより中韓関係を強化した南北等距離外交を行っており、中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典では韓国の朴槿恵習近平の隣に座り、北朝鮮が派遣した崔竜海は端に座らされ、金日成の所属した東北抗日連軍の模範部隊を参観した[23][24]。さらに朴槿恵は中国政府が費用全額負担で改修した大韓民国上海臨時政府庁舎の再開館式にも出席した[25]。その後の劉雲山訪朝で中朝は再接近したが、牡丹峰楽団公演の中止にはじまり核実験で再び冷え込み、軍事パレードを金正恩の隣で閲兵した劉雲山の姿が北朝鮮の記録映画から削除された。金正恩が2018年3月25日に訪中して習近平との初めての首脳会談を行って以降、中朝関係は徐々に改善に向かいつつある。

世界各国の教科書における中朝関係の描写[編集]

  • 「朝鮮は数百年間中国の属国だった」(カナダの教科書)[84][85]
  • 「朝鮮は近代に至るまで、その国内での抵抗にかかわらず、中国と日本の属国だった」(オーストラリアの教科書)[86]
  • 朝鮮半島は古代から中国の植民地であった」(インドネシアの教科書)[87]
  • 「朝鮮が17世紀に中国の支配に入っていて、これは中国が弱くなった19世紀末まで続いた」(タイの教科書)[85]
  • 「朝鮮は中国の属国だった」「1600年代初め、中国が朝鮮を再び支配した。300年間、朝鮮は中国の統治下にあった」(アメリカの教科書)[88][85][86]
  • 朝鮮半島のあらゆる歴史は中国と日本の侵略威嚇として綴られた」(フランスの教科書)[84]
  • 独裁及び傀儡国家」「政治的、軍事的に帝国主義に依存している」(チェコの教科書)[84]
  • 「かつてロシアの植民地で、日本の植民地でもあった国家」(シンガポールの教科書)[89]
  • 中国語を使用している国家」(ウルグアイの教科書)[89]
  • 朝鮮半島は中国語使用地域」(アルゼンチンの教科書)[90]
  • 朝鮮半島の宗教は儒教」「公用語中国語日本語」(クウェートの教科書)[91]
  • 「清は18世紀なかごろに(略)朝鮮・ベトナム・タイ・ミャンマーを属国とする大勢力となった」(日本・山川出版社 『詳説世界史』)
  • 「いっぽう清国も、朝鮮を属国あつかいにした」」(日本・東京書籍 『日本史A』)
  • 「(日清戦争で)日本の勝利となり、下関条約が結ばれ朝鮮の独立が認められた」(『中等世界史』 韓国・英志文化社 1959年
  • 「朝鮮は清の半属国だった」(『高等世界史』 韓国・教友社 1962年
  • サミュエル・P・ハンティントンは彼の著書『文明の衝突』で、わが国を中国の文明に抱含させている。外国人の目には、わが国の文化が中国とあまり差異なく見えるようだ」(『高等学校世界史』 韓国・教学社 2003年
  • 『世界史A』(実教出版、46頁)は、モンゴル帝国の発展を示す地図のなかに安南高麗を含め、『世界史B』(実教出版、145頁)と『高校世界史B』(実教出版、86頁)は、モンゴルの最大版図の外側に安南と高麗を同じ色刷の斜線で図示[92]
  • 世界の1億人を対象にした教科書を出版しているピアソン・エデュケーションは、朝鮮半島を中国の属国に定義付ける世界史の試験問題を出題[93]
  • 1478年から現在まで、アメリカ合衆国(以下アメリカ)をはじめ、日本カナダ中国など世界約50か国で教科書を出版しているオックスフォード大学の出版社が制作している中学校課程教科書は、古代中国の領土を表記した「古代の世界」の1ページで、朝鮮半島全体を中国領土に抱含[93]
  • アメリカの世界史教科書では万里の長城鴨緑江近隣までのびている地図が掲載され、「1640年代に朝鮮は中国・清王朝の属国になった」と記述[94][95]
  • アメリカの大部分の教科書は朝鮮半島が「中国と日本の属国」と記述[96]
  • アメリカの教科書は、古代の中国地図に朝鮮半島を中国の領土と表記[91]
  • アメリカのマクドゥーガル・リトル出版社が発行している教科書に収録された1850~1910年に分割占領された中国領土地図[1]には、朝鮮半島が中国領土であるかのように領域圏を明示したうえで、朝鮮半島と台湾を日本が植民地化したものと図示[97]
  • メキシコの教科書は、朝鮮半島を1910年以前の中国領と表記し、朝鮮民族ではない他民族の写真を掲載[91]
  • アメリカ14州で教科書に採択しているホルト・ラインハルト&ウィンストン出版社の「世界史、人間と国家」は、高句麗渤海高麗朝鮮等も中国の一部であるかのように記述し、「中国の朝鮮半島統治は朝鮮文化にどのような影響を及ぼしたか」という回答を誘導[98]
  • VANKに拠ると「全世界の学生の朝鮮半島に対する認識を形成させる外国の教科書は、『朝鮮半島を中国や日本の属国で貧しい農耕国家』と記述」している。[99]
  • アメリカの教科書は朝鮮半島関連の内容を少なく扱い、朝鮮半島を中国・日本の周辺国と描写しており、朝鮮半島が中国と日本の支配を順に受けたかのように記述しており、「1600年代から中国が朝鮮を300年間支配した」と記述[100]
  • 外国の世界史の教科書の50 %以上は朝鮮半島史を半ページ程度紹介しているだけで、10ページ余り近い日本史中国史の20分の1の水準である。ワールド・ヒストリー・ピープル&ネーションズの教科書は、紀元前87年の漢の領土が漢江の南まで下っている。万里の長城豆満江までつながり、13世紀の高麗はモンゴルの属国、朝鮮は清の植民地として描写。ワールド・ヒストリー&ユーの教科書は、日本・中国と異なり、朝鮮半島史は朝鮮戦争から叙述。ロンリー・プラネットの教科書は、「韓国人男性は本能的に外国人男性に排他的だ。これは女性を奪いに来ていると誤解しているため」と叙述され、これをモンゴル侵略以後に膨らんだ心理状態と描写[101]
  • 小中高の教科書と旅行関連書籍、マルチメディア教育用CDロムタイトルを米国、豪州、ニュージーランド、インド、ドイツ、南アフリカ、カナダに供給する世界最大規模の多国籍教科書および旅行関連書籍を発行するイギリスに本部を置く出版社DK社が発行する教科書に韓国の公用語は中国語とハングルと表記[102]
  • 香港の中学1年の歴史教科書の150ページは、三国時代の記述で、初期の高句麗領土に該当する地域を魏の領土として色分けする[103]
  • 村井友秀は、1953年発行の中国政府の国定教科書には、かつての朝貢国インドシナ半島朝鮮半島)は、「外国に奪われた中国の領土である」と記述していることを指摘している[104]
  • スペインの教科書は、朝鮮半島で使われている文字を漢字、朝鮮半島の人種を中国-モンゴル人種として表記して、スペイン、オーストリアオランダカナダの教科書は、朝鮮半島に対する叙述が近・現代史に限定され、中国と日本・米国と旧ソ連の至大な影響の下、被侵の歴史が染み付いた弱小国という印象が非常に濃厚に滲み出る[105]
  • 延世大学教授の柳錫春は、インドネシアフィリピンタイの教科書では、朝鮮半島の歴史を日本や中国の一部と記述している[106]
  • トルコの高校地理教科書は、「朝鮮半島の民族は大部分朝鮮人だが、残りは中国人と日本人で構成されている」と記述[107]
  • 全世界の大部分の教科書では、朝鮮の歴史が中国・ロシア・日本の植民地と紹介され、大部分の外国の子供たちは朝鮮史は中国の植民地と認識している。また、外国の教科書には、「朝鮮半島は中国と日本というの間に挟まれた海老」だと載っている[108]
  • アメリカをはじめとする多くの国家で日本中心の歴史観をそのまま借用し、「中国と日本の属国として綴られている歴史を持っている」という記述が主流となっている[84]
  • アメリカの中等学校の社会科の教科書『世界地理‐世界的観点』には、「彼ら(朝鮮)は中国の文字表記法を借用し、多くの中国の語彙を改造して使用した」と叙述[109]。これについて韓国教育課程評価院のパク・ソンミ研究委員は、「アメリカの教科書執筆者らが、朝鮮文化が中国文化圏に属しているという考えを持っているためであるようだ」と指摘[109]
  • アメリカの世界史の教科書には中国と朝鮮の間の朝貢秩序を、朝鮮を中国の属国と見なす内容がある[109]。国教育開発院の李讃熙博士は「朝鮮半島の歴史を主体的に扱っておらず、中国、日本などの歴史叙述のために付随的に挿入されているケースが多い」と指摘[109]
  • アメリカの教科書は、朝鮮半島関連の内容を「中国の周辺」という節でモンゴルの次に紹介し、主に中国と日本に焦点が合わされ、日本に関する内容は学年に関係なく多い反面、朝鮮半島に関する内容は得にくい状態となっている[88]
  • アメリカの教科書は、東洋の代表的文化といえば中国と日本だけしか書かれず、また、朝鮮は中国と日本の子分と書かれ、万里の長城平壌まで引かれ、朝鮮が清朝の領土になっている[110]。具体的にアメリカの教科書に、「朝鮮は独自の文化をもつ東アジアの国である。その長い歴史の大半を、朝鮮は周辺の大国に支配されてきた。なかでも中国や日本は頻繁に朝鮮を政治的に支配してその文化に影響をおよぼした。(中略)朝鮮半島の北方地域は、中国皇帝の領土となった。西暦1年ごろから900年まで朝鮮は三つの王国にわかれていた。中国の文化は朝鮮半島の北方にある王国に強い影響をおよぼした。この時期に仏教儒教、そして漢字朝鮮半島に入ってきた。日本の文化は、南方にある二つの王国にたいして中国以上の影響をおよぼした。(中略)高麗の王たちは独自に朝鮮を治めていたが、モンゴル帝国朝貢しなければならなかった。(中略)朝鮮人は、科挙制度をはじめさまざまな中国の文物を取り入れ、中国文化にのめりこんでいった。(中略)満州族の影響。朝鮮人は日本との戦いで疲弊した。その結果、1630年代、満州からきた新しい侵略者は全土をあっというまに征服した。李王朝の統治者は権力を維持したものの、満州族の政府に服属した。中国の満州族政府は日本の影響力が強まることを望まなかった。満州族は李王朝に対する統制をよりいっそう強固なものにしようとした。(中略)日清戦争終結後の1895年末、中国は朝鮮の独立を認めた。日本はこうして満州族の朝鮮支配を終焉させた。(中略)朝鮮は第二次世界大戦で日本帝国が敗れる1945年まで独立できなかった。現在も朝鮮は、中国、日本、アメリカのような大国の影響下から抜け出せずにいる」と記述[110]。これについて金完燮は、朝鮮が明朝清朝の属国だったことは事実であるため、朝鮮半島を明朝、清朝の領土というのも自然であり、「朝鮮が独立国だったかのように教える韓国の教科書が異常なのだが、(中略)私たちが日本の助けで1897年に初めて独立国になったという事実を知らない」と述べている[110]
  • スイスの小学校地理教科書は朝鮮半島を中国の領土と表記している[111]