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「卑弥呼支えた渡来系集団」奈良県立図書情報館・千田館長が自説展開

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卑弥呼(ひみこ)時代の邪馬台国(やまたいこく)成立には、

アメノヒボコツヌガノアラシトといった渡来系集団が関与したのではないか−。

古事記』『日本書紀』『播磨国風土記』に登場する新羅(しらぎ)の王子で、意富加羅(おおから)国の王子であるツヌガノアラシトと同様に古代朝鮮から渡来。但馬(兵庫県北部)にとどまって玉や鏡などを持ち込んだと伝えられている。

邪馬台国の有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)の東方に位置する兵主(ひょうず)神社と、長崎や滋賀、兵庫県などに分布する兵主神社アメノヒボコと関係があるという。

「兵主」は武器など金属加工の神で、アメノヒボコの集団は金属加工や土地開発に従事。長崎県壱岐市滋賀県彦根市などにある金属関連遺跡について、周辺にある兵主神社との関連性を示し、纒向遺跡がある三輪山麓に渡来文化が入ってきたと推測

三輪山信仰を中心に邪馬台国ができ、アメノヒボコやツヌガノアラシトの集団が技術的な面で貢献したのではいか」

古代史の“七五三論争” 日本国はいつ誕生

邪馬台国(やまたいこく)の女王、卑弥呼(ひみこ)が統治した「3世紀」

第16代 仁徳天皇倭の五王による巨大前方後円墳が築かれた「5世紀」

  • 5世紀前半,倭の五王の最初の王。 倭王珍(ちん)の兄。「宋(そう)書」倭国伝によると,宋の永初2年(421),元嘉2年(425,使者は司馬曹達)の2度中国南朝の宋に遣使。その死後,弟珍がたったとある。応神天皇,仁徳(にんとく)天皇,履中天皇に比定する諸説がある。

天皇制が確立したとされる飛鳥時代 (*) の「7世紀」

兵主神社 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/兵主神社
兵主神社(ひょうずじんじゃ)は神社。

兵庫(つわものぐら)の鎮守。 兵主大社(正式名は「兵主神社」)

兵主大社(正式名は「兵主神社」) – 滋賀県野洲市鎮座、旧県社式内名神大社
穴師坐兵主神社奈良県桜井市鎮座、旧県社、式内名神大社
兵主神社 (岸和田市) – 大阪府岸和田市西之町鎮座、式内社
兵主神社 (丹波市) – 兵庫県丹波市鎮座、旧県社、式内社
兵主神社 (西脇市) – 兵庫県西脇市黒田庄町岡鎮座、式内社
射楯兵主神社兵庫県姫路市鎮座、旧県社、式内社
兵主神社 (岡山市) – 岡山県岡山市南区阿津鎮座
兵主神社 (壱岐市) – 長崎県壱岐市芦辺町深江本村触鎮座、旧県社、式内名神大社

卑弥呼 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/卑弥呼
卑弥呼(ひみこ、生年不明 - 242年〜248年)は、『魏志倭人伝』等の中国の史書に記されている倭国の王(女王)。邪馬台国に都をおいていたとされる。 ... 卑弥呼が死亡したときには、倭人は直径百余歩(この時代の中国の百歩は日本の二百歩に相当する)もある大きな塚を作り、奴婢百余人を殉葬したとされている(卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩、 ...
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