「“日本”を生んだ戦い 新視点!壬申の乱」
「倭国」と呼ばれた国が「日本」に変わるきっかけとなった壬申の乱。日本書紀では王位をめぐる争いとされているが、仔細にみると乱の背景に対外関係の難問が浮かび上がる。
乱がおきたのは古代史上最大の対外戦争・白村江の戦いの大敗北から9年後。天智天皇は唐と新羅の侵攻に備えて中央集権化を推し進めてきたが、やがて新羅が唐と対立、戦争が始まる。当初は半島情勢不介入を続けていたが、唐からの強い圧力の中で天智は息子の大友皇子に政権を任せ、唐寄りの考えを持つ百済の難民たちを抜てきする。豪族たちが反発する中、最有力後継者だった大海人皇子は天智から政権を受け継ぐよう求められるが…。
飛鳥から 近江大津宮 天智天皇6年(667) 遷都、藤原京 (*)
天智天皇 (*)
天武天皇 (*) 673年〜686年
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- 歴代天皇事典 - 歴史浪漫
持統天皇 (*)
- 日本国
滋賀 日野市 (*)
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2015/11/14 - 前回までは、大化の改新の話でしたが、時代を少し進めます。 ... 4 古代の朝鮮出兵!白村江の戦い. 4.1 当時の朝鮮事情 〜百済滅亡〜. 5 斉明天皇、道半ばの死; 6 白村江の戦い 〜百済・日本連合vs唐・新羅連合〜; 7 日本史上最大 .... 豊臣秀吉の時代は、1550年ぐらいですから、白村江の戦いから約900年後となります。
663年に起こった白村江の戦い 「はくそんこう」,「はくすきのえ」