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つれづれなるままに日暮らし

『旧唐書』新羅伝 東夷伝 「倭国伝」「日本国伝」

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「隋書」にある倭王、「阿毎多利思比孤」とは一体だれだったんでしょうか? 「開皇二十(600)年、倭王、姓は阿毎(あめ)、字は多利思比孤(たりしひこ)、阿輩鶏彌(おおきみ)と号す~」 とあります 当時は女帝推古天皇の時代であり男性の大王ではないはずです しかし隋書にははっきりと多利思比孤(タラシヒコ)と男性名が記述されています 608年に遣隋使の小野妹子と一緒に帰国した隋の使者裴世清は倭王は男性であると書いています 蘇我馬子聖徳太子倭王を名乗って裴世清と会見したんでしょうか? それともそもそも推古天皇そのものが後世に作られた架空の人物で実は蘇我馬子こそが大王(タラシヒコ)だったのでは・・ なんて説もありますし、用明天皇=タラシヒコという説もあります タラシヒコとは昔の初代天皇の名前か何かで 「我が国はタラシヒコ以来~阿輩鶏彌(おおきみ・大王)と号す」と言う解釈で説明できるなんて説もあります この謎に満ちた「阿毎多利思比孤(アメノタラシヒコ)」とは何なんでしょうか? 詳しいかた教えてください 

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