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つれづれなるままに日暮らし

【古代文字の謎】世界の古代文字を産んだ太古天皇 すべての古代文字は一つの原図より生まれた

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竹内文書の原文にしるされた神代文字は四百種類ほどの文字が残されている
(記録には2400種類とあるが、現存していない。)
竹内文書研究家の竹田日恵氏は、現代の世界各国の文字で、漢字とひらがなを除く表音文字のすべてが、この日本の神代文字から派生したものだと竹田日恵は提唱している。
古代エジプトや、中東ヒッタイト象形文字ヘブライ文字からハングル文字、ABCのアルファベットに至るまで、世界の表音文字のすべての文字の原点が、じつは日本の神代文字にあるという。
出雲文字は、実は上古15代豊雲野根天皇(トヨクモヌネスメラミコト)がお作りになった「トヨノ文字」であったこと、世界中の古代文字は全て天皇の御作(おさく)
によるものだったこと、太古からアイウエオによる51音表記が用いられていた。
太古、天皇は文字を作り、祀り(まつり)の対象として人類に授けていた。
現在、世界中に様々な文字が残っているのは、その国々にそれぞれふさわしい文字を
お与えになったためである。
神代文字が失われた我が国でも、神社だけに天皇がお作りになった文字が残されていたのも、このような文字本来の意味からいえば当然のことといえるだろう。
日本に文字が無かったと言われるのも、実はなかったのではなく、祀る対象である文字を記録や情報伝達の手段に使うのは無礼に値するからだという事が想定できる。
竹内文書には天皇が世界各国の民王(天皇が認定した地域毎の支配者)に何度も教官を派遣し、文字を伝えた事が鮮明に記録されている。
天皇が文字をお伝えになる一方、天皇のもとに文字の製作を学びに来るものもいた。
フキアエズ五十八代、御中主幸玉天日嗣天皇(ミナカヌシサキタマアメヒツギスメラミコト)の時に来朝した伏犠(フツキ)と神農である。
中国の伝説上の皇帝三皇として知られる両氏が、皇祖皇大神宮で易の根本と文字製作の秘法を習得したとある。
それによって、中国では甲骨文字が生まれ、漢字にまで発展していった。
ここでいう文字製法の秘法とは、文字の製作に用いる原図の使用法のことを指す。
すべての古代文字は、天皇が所持していた一つの原図から生まれたのである。
したがって、天皇はすべての文字の生みの親であった。

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