大阪府/竹内街道 (*) ・横大路〜難波から飛鳥へ日本最古の官道(大道 ...
2016年2月25日 ... 大阪と奈良を東西に結ぶ竹内街道は、日本書紀の推古天皇21年(613年)の条に、「 難波(なにわ)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記された「大道」のルートと 重なることから、日本最古の官道と呼ばれています。 平成25年(2013年) ... 検索
www.pref.osaka.lg.jp/doroseibi/.../saikonokandou1400.html
日本書紀の推古天皇21年(613年)の条に、「 難波(なにわ)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」
難波から飛鳥に通ずる日本最古の官道、竹内街道・横大路(大道)は2013年に敷設1400年
- 豊浦宮(とゆらのみや) 第33代・推古天皇が592年に即位するまでの宮
- 耳梨行宮(みみなしのかりみや) 推古天皇の暫時的な滞在地
- 小墾田宮(おわりだのみや) 603年以降、推古天皇と聖徳太子の時代の宮。冠位十二階や十七条憲法の制定。
- 飛鳥岡本宮(あすかおかもとのみや) 630年以降、第34代・舒明天皇の時代の宮。火災で焼失して一時的に田中宮を設営。
- 後飛鳥岡本宮(ごあすかおかもとのみや) 板蓋宮が消失した656年以降、第37代・斉明天皇(皇極天皇が重祚)の時代の宮。
- 飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや) 643年以降、第35代・皇極天皇の時代の宮。蘇我蝦夷(そがのえみし)が建設。645年に大化の改新(乙巳の変)が起きて、第36代・孝徳天皇(軽皇子)が即位。655年に火災で焼失。
- 難波宮(なにわのみや, 645-655)・難波長柄豊埼宮(なにわながらのとよさきのみや) 652年以降に、中大兄皇子らと孝徳天皇が設営した飛鳥ではなく大阪にある宮。
- 飛鳥川原宮(あすかかわはらのみや) 655年以降、斉明天皇が一時的に御所とした宮。斉明天皇は飛鳥川原宮から後飛鳥岡本宮へと移る。
- 近江宮(おうみのみや, 667-672)・近江大津宮(おうみのおおつのみや) 663年の白村江*の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた第38代・天智天皇が、667年に後飛鳥岡本宮から遷都したのが滋賀県にある近江大津宮である。天智天皇の子の大友皇子(弘文天皇)も近江大津宮で即位。
- 飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや, 672-694) 第40代・天武天皇と第41代・持統天皇の時代の宮。壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)に勝利した大海人皇子(天武天皇)が、天智天皇・弘文天皇の拠点である近江宮(滋賀県)を離れて再び飛鳥(奈良県明日香村)の地に飛鳥浄御原宮を置いた。
- 藤原京(ふじわらきょう, 694-710) (*) 奈良県橿原市周辺に造営された日本史上最初の条坊制(じょうぼうせい)の本格的な中国風都城(とじょう)である。第41代・持統天皇、第42代・文武天皇、第43代・元明天皇の時代の都で、大和三山(北に耳成山・西に畝傍山・東に天香具山)を抱える壮大な規模の古代日本の首府だった。貴族文化である白鳳文化が隆盛を迎えるが、710年に平城京に遷都し711年に藤原京は焼失する。
街道*