altgolddesu’s blog

つれづれなるままに日暮らし

ヒッタイト 鉄

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https://www.ihi.co.jp/var/ezwebin_site/storage/original/application/71810c911d933c8b63f49c1448fc059c.pdf 

鉄の利用は,紀元前 3500 年ごろ,隕いんせき石の中で遊離した鉄( 隕鉄 )や,地表に露出した鉄鉱石が山火事によって変化した鉄を人類が発見したことが,はじめとされています.地中海のクレタ島に住む人が使い始め,紀元前 1500年ごろ,クレタ島近くのアナトリア半島( 現トルコのアジア部分 )のヒッタイト帝国に広がり技術的な整備が行われ,国家として製鉄を始めたといわれています.
当時は,鉄鉱石や砂鉄を比較的低い 700 ~ 800℃の温度に加熱して溶かさずに酸素分を除去( 還元 )して炭素量を少なくした「 錬鉄 」にするか,もう少し高温にして炭素量を増した「 鍛鉄 」を得る方法でした.それらを直接製鉄法と呼んでいます.現在のように 1 200℃以上の高温にして鉄鉱石を溶解させて「 銑鉄 」を造り,それを再度加熱溶融して強じんな鉄を造る間接製鉄法ではなかったようです.
この鉄を造るには,良質の熱源を得ることが最大の課題でした.鉄鉱石と熱源となる森林資源を求めて,東方へ進出しました.ヒッタイト帝国は,森林枯渇が原因で紀元前12 世紀に滅びてしまいました.しかし,彼らの子孫はタタール人と呼ばれ東進を続けました.彼らの鉄はインド,中国で独自の技術的発展を遂げ,より高温に熱せられ,還元された鉄に炭素を含有させることで融点を下げ,「 鋳鉄 」を造る間接製鉄技術に高まりました.紀元前 119 年には,前漢武帝が匈きょうど奴との戦いでひっ迫した財政を再建するために鉄を専売制にして税金を掛けたほどです.
西洋で鋳鉄が造られるようになったのはずっと遅れて15 世紀で,中国の技術が西欧に逆輸入されたともいわれています.日本へは,弥生時代の紀元前 200 年ごろ,青銅器とともに鉄器が伝来し,西暦 400 年ごろには,北九州,中国,大和地方で初期の「 たたら吹き 」製鉄が始まりました.この「 たたら 」とは,タタール族が語源となっています.
近代になり,石炭を利用することが考案されましたが,スモッグの発生という問題が発生しました.そこで考案された方法が,石炭を蒸し焼きにしたコークスの利用です.
送風のために蒸気機関を活用して近代製鉄の扉が開かれ,大規模操業が始まったのは 1754 年です.ベッセマーによる転炉法の発明で,革命的な大量生産への道が開けたのは1856 年のことです.

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旧約聖書によると、4000年ほど前にアブラハムがシュメール(イラク)のウルからハラン(トルコ)に移り、更にカナン(イスラエル)に移動した。このアブラハムの移住は、私見ですがシュメールとハッティの滅亡と関係があると考えています。
ハッティ人は鉄を発明した民族で、これが人類の鉄使用の最初だと考えられる。
ヒッタイト人が4000年ほど前に北方からやってきて、アナトリアのクッシャラに定住し始め、3800年ほど前にクッシャラの王ピトハナと子のアニッタがアナトリア征服に取り掛かった。
ピトハナ王とアニッタ大王はアナトリアを征服して先住民「ハッティ」の鉄を独占し、ヒッタイトの文化として後世に伝えた。(粘土板のアニッタ文書による) 

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ヒッタイト地図

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