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平安時代には皇族、貴族の熊野詣

熊野古道〜伊勢と熊野を結ぶ、祈りの道〜|和歌山県観光情報
https://www.wakayama-kanko.or.jp/worldheritage/kumanokodo-isegi/kodo.html

熊野古道は、全国各地から「熊野三山」へと向かう参詣道の総称です。

平安時代、「神仏習合(古来から日本にある神への信仰と、仏教への信仰が融合した思想)」と「浄土信仰」の浸透により、熊野地方は朝廷や公家の信仰を集めるようになりました。これが"熊野詣"の興りです。

熊野本宮大社の「家津御子大神(けつみこのおおかみ)」は来世を救済する阿弥陀如来、熊野速玉大社の「熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)」は過去世を救済する薬師如来熊野那智大社の「熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)」は現世を救済し利益を司る「千手観音」の権現(仏・菩薩が人々を救済するため、仮の姿をとって現れること)とされ、また、那智山青岸渡寺は西国三十三ヵ所巡りの第一番札所として、熊野信仰は全国に広がりました。

時代の変遷とともに息づく“熊野詣”. 平安時代: この時代における参詣は、主に法皇上皇などの皇族、貴族や女官でした。 室町期以降: 武士や庶民が参詣するようになり、切れ間なく旅人の行列ができた様子から"蟻の熊野詣"とまで称されることになります。

江戸時代: 信仰心の篤さを「伊勢に七度(ななたび)」「熊野へ三度(さんど)」と表現したように、広く庶民が"お伊勢参り伊勢神宮への参拝)"と"熊野詣"を行うようになりました。 このように、「熊野古道」でつながる伊勢と熊野は、深い結びつきを持っているのです。