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直江兼続 図書館

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直江兼続 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/直江兼続
直江 兼続(なおえ かねつぐ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。米沢藩(主君 上杉景勝)の家老。兜は「錆地塗六十二間筋兜」 立物は「愛字に端雲の立物」。 目次. [非表示]. 1 生涯. 1.1 生誕から謙信時代; 1.2 直江家相続; 1.3 豊臣政権時代; 1.4 関ヶ原の戦い; 1.5 江戸時代. 2 墓所; 3 死後; 4 家族; 5 使用家紋; 6 人物・逸話; 7 関連作品; 8 脚注. 8.1 注釈; 8.2 引用元. 9 参考文献; 10 関連項目; 11 外部リンク. 生涯[編集]. 生誕から謙信時代[編集]. 以下のように諸説あるが、これらを立証する信憑性のある ...

直江兼続について
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1226330959/l50
2008/11/11 - 投稿 52 件
兼続の蔵書には貴重本も多かった。 『宋版史記ソウハンシキ』(90冊)『宋版漢書カンジョ』『宋版後漢書ゴカンジョ』に至っては、後年、国宝に指定されている。 言うまでもなく、いずれも中国の歴史書で、11世紀末頃、中国の宋時代に刊行された事から「宋版」のただし書きがつけられている。 これからの史書は、京の禅僧・南化玄興ナンカゲンコウから兼続に贈られたものだ。 儒学や漢文に造詣ゾウケイが深く、織田信長豊臣秀吉からも尊崇ソンスウを集めたという南化和尚であった。 ※現在『宋版史記』(90冊)は、国立歴史 ...

天正20年(1592年)豊臣秀吉の命で朝鮮出兵文禄の役)した際、
直江兼続肥前名護屋で済世救方300巻を書写し、後に幕府に献上され
副本を藩校興譲館が所蔵していたが、明治4年に副本も文部省に徴収された
とした1908年の伊佐早謙氏「稿本清覧録」の記載は誤りである。
済世救方なる書は、中国、朝鮮、日本何れの国にも刊行の記録が無く
発見もない。興譲館にも文部省にも所蔵の記録がない。300巻にも及ぶ
大書が歴史上これほど記録がないということはまずあり得ない話である。
つまり済世救方は存在しない本である。
聖 済 総 録
元文5年(1739年)藩士 山田近房の「米沢雑事記」は、直江兼続
「聖済総録200巻」を書写したと記載している。聖済総録は中国の北宋
刊行され日本にも伝わった記録がある。藩校興譲館の歴代の図書目録には
明治4年まで所蔵し、その後文部省に徴収されたと記録がある他、
文部省側の東京書籍館(現在の国会図書館)にも公文書として記録が
残っている。献上の話であるが江戸幕府保科正之米沢藩から漢籍
差し出した記録は確かにあるが、その中に聖済総録の文字は見当たらず、
献上の話も誤りである。

 兼続の蔵書には貴重本も多かった。
『宋版史記ソウハンシキ』(90冊)『宋版漢書カンジョ』『宋版後漢書ゴカンジョ』に至っては、後年、国宝に指定されている。
言うまでもなく、いずれも中国の歴史書で、11世紀末頃、中国の宋時代に刊行された事から「宋版」のただし書きがつけられている。
 これからの史書は、京の禅僧・南化玄興ナンカゲンコウから兼続に贈られたものだ。
儒学や漢文に造詣ゾウケイが深く、織田信長豊臣秀吉からも尊崇ソンスウを集めたという南化和尚であった。

※現在『宋版史記』(90冊)は、国立歴史民族博物館に所蔵されている。

兼続蔵書である宋版『史記』『漢書』『前漢書』は、南化和尚から贈られた物であり、いずれも国宝に指定されている。また木活字による『文選』(直江版)の出版や、米沢藩の学問所である禅林文庫(後の興譲館、現在の山形県立米沢興譲館高等学校)を創立している。

日本史探訪「直江兼続海音寺潮五郎氏と尾崎周道氏対談集よりその⑧ ...
https://blogs.yahoo.co.jp/remon_17986/21007424.html
2008/12/16 - 直江兼続対談集◇8【直江版文選】◇ 直江兼続対談集【直江版文選】 【直江版文選】 <<今日、市立米沢図書館には直江兼続の蔵書が数多く収められている。かって兼続が秀吉の朝鮮出兵に 従った時、諸侯が競って陶工を連れ帰った中で、兼続だ...

兼続が集めた蔵書は、現在も貴重な文化財として残されている。

元和4年(1618)兼続によって創建された。最初の名は禅林寺といい「禅林文庫」を備え、米沢藩士の子弟を教育するための学問所であった。後に上杉鷹山公が創設した興譲館へと受け継がれた。兼続が集めた蔵書は、現在も貴重な文化財として残されている。

興譲館
www3.omn.ne.jp/~nishiki/kojokan.htm
興譲館. 米沢市笹野に移転した山形県立米沢興譲館高等学校 藩校興譲館跡地に建てられた記念碑. (写真左:米沢市笹野に移転した山形県立米沢興譲館高等学校). (写真右:藩校興譲館跡地に建てられた記念碑). 米沢藩藩校「興譲館」は第十代米沢藩主の上杉鷹山公により「学問は治国の根源」とされ、細井平洲先生の命名で安永五年(1776年)創設された。かつて上杉景勝に仕えた名宰相直江兼続が1618年に学問所「禅林文庫」を設立し、1697年には四代藩主上杉綱憲(吉良上野介の子)が学問所を設置していた ...

上杉景勝に仕えた名宰相直江兼続が1618年に学問所「禅林文庫」を設立