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四万十 語源

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「日本最後の清流」といえば「四万十川」を想起するほどに有名になっているが、河川法上では1928年から1994年まで「渡川(わたりがわ)」が正式名称だった。1896年明治29年)の旧河川法により、1928年(昭和3年11月1日に「渡川」を法律上の公式名称に採用。1964年(昭和39年)の新河川法でも「渡川」だったが、1994年(平成6年)7月25日に「四万十川」と改名された。河川法の一級河川名称変更はこれが初めてで、これは「四万十川」が「日本最後の清流」として、全国的に有名となり認知されているという実情によるところが大きい[4]。しかし高知県内では、知名度では劣るものの仁淀川の方に水質では軍配が上がる。

江戸時代には「四万十川」と書いて「わたりがわ」と呼ばれていたこともあるという。宝永5年(1708年)の土佐物語には「四万十川 わたりがわ」と記されているという。

一方、周辺の河川名を見ると、古来関係の深かった九州に向かって「向川(現在名:中筋川)」、「渡川」を渡って中村(四万十市)の市街、その後ろに「後川」があり、位置的な名称と考えることもできる。

四万十川」の語源については、諸説があり定かではない[5][6]

  • 数多くの川(四万十の川)が合流している川である。

アイヌ語の「シ・マムト」(非常に美しい)が変化したものである。 上流部の支流四万川と中流部の支流十川、あるいは上流部の四万川村と中流部の十川村の連称地名である。 四万石の材木を十回流し送るほど、豊かな森があったという林業の盛んな川である。 アイヌ語の「シマト」(砂礫の多い所)から来たものである。