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つれづれなるままに日暮らし

京都府立伏見港公園

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伏見港公園
● 府道124の終点である伏見、三栖向町の手前から中書島駅方面へ向かう辺り一帯が伏見港公園です。
● 桃山時代の文禄3(1594)年、豊臣秀吉宇治川の治水と流路の変更を目的とした大規模な工事を行い、伏見城下に陸上及び河川の交通を集中させました。その結果、伏見は河川交通の要衝となり、三十石船が伏見、大坂の間を行き来するようになりました。
● 江戸時代には角倉了以らが高瀬川を開削し、京都と伏見が結ばれたことから伏見の役割はさらに増しました。幕府の伝馬所も置かれ、参勤交代の大名が立寄るための本陣や大名屋敷も置かれ、大変栄えたようです。
● 明治時代に入って、伏見の水運は琵琶湖疏水とも接続され、大阪や琵琶湖に大型の外輪船が就航しています。日本最初の電車も京都、伏見間に建設されました。1926年には宇治川と濠川の水位を調節するために三栖閘門が建設されています。
● その後、京阪本線の開通などで水運は衰退し、戦後、港の一部が埋め立てられ、現在は伏見港公園として整備されています。