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つれづれなるままに日暮らし

愛媛の丸亀に“広島”とは?なぞの島に迫る

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geolog.mydns.j 明治5年(1872)の記録によると塩飽諸島には本島、牛島、広島、手島、与島、瀬居、沙見島、櫃石島、岩黒島、佐柳島、高見島11島からなり、総戸数は2244でそのうち大工職は707、漁業719、船乗り210、農業484、商業25、その他99とあり、塩飽大工の隆盛さがしのばれる。中でも大工職は既に嘉永3年(1850)に島外に稼ぎに出たもの、350を数え、船大工の伝統を生かして西日本の各地の寺社に腕を振るい塩飽大工の名を馳せた。 

塩飽大工の大江家は本島泊の出で国宝吉備津神社を建立した。生の浜の橘貫五郎は総社市備中国分寺五重塔善通寺五重塔を親子で建立している。上の十二支の彫刻はこの国分寺五重塔の第一層の軒に見られる。橘貫五郎は本島では、正覚院の庫裡玄関の彫刻を彫り生の浜三所神社の奥殿の彫刻は多くの下絵に見ることが出来る。 

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