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つれづれなるままに日暮らし

和気清麻呂の巨大な銅像が皇居の北東を守る場所に建っている。

気象庁前の交差点前は、皇居ランナーの休憩ポイントになっている。
ここは東京メトロ竹橋駅の入口があり、ここでリタイヤも可能。 

和気清麻呂公の銅像


奈良時代後期の女帝・称徳天皇は、怪僧・道鏡より自らの病の治療を受けて以来、道鏡を寵愛するようになった。
769年(神護景雲3年宇佐八幡宮の神官が宇佐八幡神の神託として、道鏡皇位に就かせれば天下太平になる、と称徳天皇へ奏上する。
一説には、称徳天皇道鏡皇位継承を望んでいたともいう。

このとき勅使として宇佐八幡宮に神託を確認するよう遣わされたのが、和気清麻呂であった。
宇佐八幡の神託は、
「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし」
というものであり、これをそのまま持ち帰って奏上した。
宇佐八幡宮神託事件

これにより道鏡皇位継承の途を断たれることになった。
称徳天皇は激怒し、清麻呂を「別部穢麻呂わけべのきたなまろ」と改名させられ、大隅国(鹿児島県)に流罪とされた。

称徳天皇崩御後、道鏡が失脚すると、清麻呂は名をもとに戻されたうえで流罪を解かれた。
その後は有力な官僚として活躍し、桓武天皇平安京遷都の建議を献じ、新都の建設に尽力した。

後世になると、孝明天皇より神階正一位と「護王大明神」の神号を贈られた。
1898年(明治31年)には、正一位を贈られた。
皇統を守った功績により、楠木正成とならぶ勤皇の忠臣とされ、その銅像は今も皇居を見守っている。


和気公の銅像から少し進んで、平川門【現存】。 

 

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