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伝説の王・禹~最古の王朝~

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古代中国 よみがえる英雄伝説「伝説の王・禹~最古の王朝の謎~」
中井貴一が中国古代の謎に迫る。司馬遷の「史記」は、最古の王朝は治水に成功した「禹王」がたてたと記す。それは伝説だったが、相次ぐ発掘で、意外な実像が明らかになった
俳優・中井貴一が中国古代史の謎に迫る。司馬遷が記した「史記」には、最古の王朝「夏」は全土の治水に成功した「禹王」によって建てられたとある。これまで神話に過ぎないとされてきたが、近年の発掘調査から、夏王朝の実在が明らかになろうとしている。また、王朝成立以前、中国各地には、いくつもの文化が繁栄していたことも明らかになった。その中で禹が中国最初の王となり得た理由は?最新の考古学から禹の実像を探る。

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◇五穀豊穣 米・麦・粟・黍・豆の5種  

◆五穀豊穣 米・麦・粟・黍・豆の5種
◆玉石混淆 

夏(か、紀元前1900年頃 - 紀元前1600年頃 [紀元前2000年頃からとする説もある])は、中国の史書に記された最古の王朝。夏后ともいう。夏・殷・周を三代という。

史記』『竹書紀年』などの史書には初代の禹から末代の桀まで14世17代、471年間続いたと記録されている。殷に滅ぼされた。 

史記』「夏本紀」、『竹書紀年』

禹の創業

夏王朝の始祖となる禹は、五帝の一人顓頊の孫である。帝堯の時代に、禹は大洪水の後の治水事業に失敗した父の後を継ぎ、舜帝に推挙される形で、黄河の治水事業に当たり、功績をなし大いに認められた 

舜は人望の高かった禹を後継者と考えていた。舜の崩御後3年の喪に服した禹は、舜の子である商均を帝位に就けようとしたが、諸侯が商均を舜の後継者と認めなかった為に禹が帝位に即位し、陽城(現在の登封市)に都城を定めた。禹は姓は姒(じ)と称していたが、王朝創始後、氏を夏后とした。

禹は即位後暫くの間、武器の生産を取り止め、田畑では収穫量に目を光らせ農民を苦しませず、宮殿の大増築は当面先送りし、関所や市場にかかる諸税を免除し、地方に都市を造り、煩雑な制度を廃止して行政を簡略化した。その結果、中国の内はもとより、外までも朝貢を求めて来る様になった。更に禹は河を意図的に導くなどして様々な河川を整備し、周辺の土地を耕して草木を育成し、中央と東西南北の違いを旗によって人々に示し、古のやり方も踏襲し全国を分けて九州を置いた。禹は倹約政策を取り、自ら率先して行動した。 『竹書紀年』に依れば、45年間帝であったという。即位後、皋陶に政治の補佐をさせたが、皋陶の死去に伴い益による朝政の補佐が行われた。