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つれづれなるままに日暮らし

昭和20年08月14日 谷崎潤一郎の『疎開日記』、永井荷風の「断腸亭日乗」

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また永井荷風の「断腸亭日乗昭和20年8月14日の記述に「(略)打刻、谷崎氏方より使いの人来たり、津山の町より牛肉を買たればすぐにお出でありたしと言う、急ぎ小野旅館に至るに日本酒もまたあたためられたり、細君下戸ならず、 ... 

谷崎潤一郎は津山と勝山に疎開し、永井荷風に津山の牛肉をふるまったと聞いたことがあるが、それはいつのことか。谷崎潤一郎は津山と勝山に疎開し、永井荷風に津山の牛肉をふるまったと聞いたことがあるが、それはいつのことか。
谷崎潤一郎の『疎開日記』によれば谷崎潤一郎は津山、勝山に疎開している。勝山に疎開中の昭和20年8月13日から永井荷風が勝山を訪問、翌8月14日に谷崎潤一郎が「荷風氏を招きスキ焼を供す」(『疎開日記』)、永井荷風は8月14日に「津山の町より牛肉を買たればすぐにお出でありたしと言う」(『断腸亭日乗』)と記しているので、牛肉をふるまったのは終戦の日の前日、8月14日である。 谷崎潤一郎の『疎開日記』によれば昭和20年5月15日から津山に疎開疎開の経緯なども日記に書かれている。津山で投宿先となったのは松平家別邸宕宕庵(とうとうあん)。6月27日に勝山に居を移す。この日、「岡山に疎開中の永井荷風先生より書面来たれり」とある。8月13日から15日まで荷風訪問、8月14日「(略)夜も荷風氏を招きスキ焼きを供す。」また永井荷風の「断腸亭日乗」昭和20年8月14日の記述に「(略)打刻、谷崎氏方より使いの人来たり、津山の町より牛肉を買たればすぐにお出でありたしと言う、急ぎ小野旅館に至るに日本酒もまたあたためられたり、細君下戸ならず、談話頻興あり、九時過辞して客舎にかえる」とある。 

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谷崎潤一郎荷風宛に7月2日付けで空襲の見舞い葉書を出していました。この宛先が岡山駅裏の最相氏宅になっていました。「断腸亭日乗」の昭和20年6月を参照します。 「六月十一日。晴。… …宅氏の知人最相 ... 6月2日 明石に疎開 6月11日 岡山へ疎開岡山市内で空襲を受け転居 8月13日 勝山の谷崎潤一郎を訪ねる 

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岡山ホテル>
 荷風住友銀行岡山支店で当面の生活資金を引き出し、定住できる棲家を探します。「断腸亭日乗」の昭和20年6月を参照します。
「…引出金額一個月五百円かぎり、一回引出し金額金弐百円也と云、一同岡山ホテルに宿す、蚊多くして眠れ難し、…
六月十四日、陰、終日ホテルに在り、無聊甚し、午後復住友銀行に赴き支配人米沢氏に面会す、…
六月十五日、細雨空濠、午前九時警報あり、大阪堺の辺襲撃せられしと云、菅原氏夫妻各知るべをたより借家借間をさかせども見当らず、この夜も空しくホテルに宿す、宿賃一日分税供金拾円也と云、…」

岡山ホテル>
 荷風住友銀行岡山支店で当面の生活資金を引き出し、定住できる棲家を探します。「断腸亭日乗」の昭和20年6月を参照します。
「…引出金額一個月五百円かぎり、一回引出し金額金弐百円也と云、一同岡山ホテルに宿す、蚊多くして眠れ難し、…
六月十四日、陰、終日ホテルに在り、無聊甚し、午後復住友銀行に赴き支配人米沢氏に面会す、…
六月十五日、細雨空濠、午前九時警報あり、大阪堺の辺襲撃せられしと云、菅原氏夫妻各知るべをたより借家借間をさかせども見当らず、この夜も空しくホテルに宿す、宿賃一日分税供金拾円也と云、…」


 岡山ホテルの一泊は10円ですから一回の銀行引き出しで10日間分でしかありません。これでは高すぎて生活できません。

写真の正面辺りに岡山ホテルがありました。柳川交差点の北東角になります(正確には桃太郎通りが北に数十メートル拡張されているため、写真に移っている歩道道上の北側部分)。ですから住友銀行岡山支店の正面になります。この岡山ホテルの場所については、岡山市立図書館発行の「おかやまを語る」-岡山町並の残像-の中に”岡山ホテルと永井荷風”として書かれていました。 

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