altgolddesu’s blog

つれづれなるままに日暮らし

弘化4年(1847)3月24日(太陽暦5月8日)夜10時ごろ、善光寺地震(マグニチュード 7.4)

www.google.com 

弘化4年(1847) 善光寺地震マグニチュード 7.4)は、この盆地西縁部の活断層が動き発生した大規模な内陸直下型地震であった。

長野市歴史的風致維持向上計画 平成 25 年3月 長野市

https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/47355.pdf 

NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/2000515100 

戸隠地区は、長野市中心市街地からは北西部に位置し、標高 2,000mを超える戸隠山や荒倉山、飯縄山に三方を囲まれた標高 1,000 mを超える高原地帯である。約 400 万年前の浅い海の地層から、貝などの化石(シナノホタテ、シガラミサルボウ等)が豊富に産出する。

鬼無里地区は、長野市の西部、戸隠地区のさらに西側に位置し、長野市中心部から西へ約 20km ほど裾花川を遡り、裾花峡(裾花渓谷)を抜けると谷が開け、鬼無里盆地となる。
日本書紀には、天武天皇(7世紀後半)の信濃への遷都計画が記されており、それが鬼無里の地であり、現在ある東京(ひがしきょう)、西京(にしきょう)などの地名は、その時の遷都に由来しているという遷都伝説がある。
鬼無里地域には約 1,000 万年から約 200 万年前に堆積した様々な地層が広がっており、奥裾花渓谷ではこれらの地層が南北方向で V 字状に曲げられた「褶曲構造」や、傾いた地層が広大な面をなして階段状になっている「ケスタ地形」、「ハチノス状風化岩」などがみられ、雄大な渓谷美をつくり上げている。