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<古代>
・第16代 仁徳天皇 (*) 11~13 年・・淀川左岸に「茨田堤」 (*) 、平野川に「横野堤」 (*) が築かれる
-生年月日: 西暦290年 ~ 死亡: 西暦399年2月7日
・5世紀末~6 世紀初頭・・「難波堀江」が完成し、その後の淀川本流となる。
・645年(大化元) ・・「難波長柄豊碕」に都を遷す(難波宮)。
・741年(天平 13) ・・行基、摂津田に 3堀川を開削、 うち「次田堀川」は後の二重堤逆川。
・785年(延暦 4) ・・和気清麻呂、淀川本流から三国川へ「放水路」を開削する。
・788年(延暦 7) ・・和気清麻呂、「河内川」の開削を開始、費用がかかり中断する。
・793年(延暦 12) ・・長岡京ができ、難波宮が廃止される。<中世>
・1496年(明応 5) ・・蓮如、上町台地北端に大坂本願寺を建立し、寺内町を形成する。
・1590年(天正 8) ・・大坂本願寺と寺内町が焼失する。<近世>
・1583年(天正 11) ・・豊臣秀吉、上町台地北端に大坂城を建設し、城下町を造成する。
・1594年(文禄 3) ・・豊臣秀吉、大坂城「惣構堀」の築造を命令。東側は東横堀川とする。
・1598年(慶長 3) ・・「大坂町中屋敷替」(1597〜99) とともに船場地区を地割りする。
・1605年(慶長 10) ・・九条島と四貫島を開発して、九条村と四貫島村となる。
・1610年(慶長 15) ・・勘助島を開発して、三軒家村となる。
・1630年(寛永 7) ・・大坂市中の堀川がこの年までに 11か所開削される。
・1634年(寛永 11) ・・3代将軍・徳川家光が来坂し、地子銀 (11,183石)を免除する。
・17世紀中ごろ ・・「大坂三郷」として 3地域(北組・南組・天満組)が成立。
・1684年(貞享元) ・・河村瑞賢、「安治川」を開削、明治時代まで淀川の本流となる。
・1688年(元禄元) ・・中島新田や出来島新田が開発され、以後、川口新田の開発が続く。
・1698年(元禄 11) ・・新田開発の触書が京都と大坂に発せられる。この年、堀江川が開削されて大坂三郷に12堀川がそろう。
・1704年(宝永元) ・・大和川の付替え工事が完成する(新大和川は現在の大和川)。
・1716〜35年(享保期) ・・幕府、新田開発を奨励する。1726年に「新田検地条目」を制定。
・1818〜43年(文政・天保期) ・・享保期に続いて多くの川口新田が開発される。
・1866年(慶応2) ・・柴谷新田が開発され、近世の最後の開発新田となる。