昆陽池/伊丹市ホームページ
8世紀前半に奈良時代の高僧行基が築いた池で,長い間地域の田畑を潤すとともに洪水を防いできました。
行基(668〜749年)は渡来系の氏族出身で,現在の堺市で生れました。早くから出家しましたが,当時の国家仏教にあきたらず民間伝道をこころざし,摂津・河内・和泉・山城の国(現在の兵庫県と大阪・京都府)に49の寺院を建てたほか,信者の協力のもとに用水池や溝,道や橋,そしてを簡易宿泊施設である布施屋や,民のための寺である院をつくりました。
伊丹では,昆陽上池・同下池・院前池など5つの潅漑用水池や2本の溝をつくったほか,昆陽寺の前身となった昆陽布施屋を開き,多くの村人・旅人を飢えや病気から救ったと考えられています。のちに東大寺大仏の建立に協力して大僧正となり,人々から菩薩と称えられました。
昆陽池はむかしから歌枕となり,和歌や俳句に詠まれて大変有名な池です。藤原定家も有馬温泉へ湯治に向かう途中,昆陽池のほとりを通っています。そのときの漢詩は次のようなものです。
新雨初晴池水満 恩波風緩楽豊年 遠松迎我如親故 群鳥驚人争後先 以下略 (『明月記』より抜粋)
(しんうはじめてはれ,いけにみずみつ,めぐみのなみかぜ,ゆるやかにほうねんをたのしむ,えんしょう,われをむかえることしんこのごとし,ぐんちょう,ひとにおどろきてごせんをあらそう・・・)
江戸時代の絵図などでは周囲1里(約4キロ)とされる大池で,昆陽・寺本・池尻の3ヵ村が用水として利用していました。この池は行基が造った池のうち昆陽上池にあたると考えられます。昆陽下池は上池の西方にありましたが,慶長13年(1608年)に埋め立てられました。
昆陽池も昭和36年(1961年)に池の東側が埋め立てられ,約3分の2ほどの大きさになりました。昭和47年から残りの池全体が野鳥公園として整備され,現在は憩いの場として多くの市民に親しまれています。
伊丹