刀根山(とねやま)城は元は本願寺派の存覚上人が貞治2(1363)年に刀根山御坊を築いたのが始まりとされ、当時は大名と言えど素通りが許されないほどの寺院だったそうです。
その後、織田信長の時代に石山合戦(1570〜80)が起こり、おそらくその戦いの過程で先に信長に落とされたであろうこの地に、天正6(1578)年に信長に叛旗を翻した荒木村重が篭る有岡城攻めの際に、その包囲網の一つとして築いたのがこの刀根山城です。
刀根山城 - takekawa.net
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最終訪城日 2001/06/19 撮影日 2001/06/19. 刀根山御坊正門. 刀根山御坊由緒(大阪府豊中市刀根山元町). 刀根山御坊由緒 ... 刀根山城は、本来、本願寺派・存覚上人 が、貞治2年(1363)に創立した刀根山 御坊という大寺院であった。その後、天正 6 ...
城の種別 山城
築城者 織田信長、稲葉通朝
築城年 天正6年(1578)
歴代城主 織田信長
刀根山城は、本来、本願寺派・存覚上人が、貞治2年(1363)に創立した刀根山御坊という大寺院であった。その後、天正6年(1578)、織田信長が石山本願寺攻めに11年の年月を要しているのは、有岡城主・荒木村重が敵方・毛利軍に内通していると疑われ、荒木村重討伐の為、織田信長勢によって築かれた城である。翌、天正7年(1579)に信長勢の攻撃が始まる。
現在は刀根山御坊正門裏に説明が記された刀根山御坊由緒があるのみである。
モノレール 柴原 下車徒歩8分
石山合戦/年表でみる戦国時代
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概要, 天下統一を狙う織田信長に対し、石山本願寺を中心とした一向宗の宗徒が立ち向かって行われた一連の戦の総称で、信長 ... から、摂津国石山からの立ち退きを要求された本願寺住職の顕如が、信長に敵対していた将軍足利義昭と接近し信長に敵対、 ... 越前国を攻略した織田信長が、再び伊勢国長島の一向一揆を攻めるが攻略できず。