- 仁徳天皇/ 仁徳11年、高津宮(*) の郊原に難波の江を堀り、日本最古の治水工事で河内に茨田堤 (まんだのつつみ) (*) を築く。
- 行基/ 神亀2年(725)現枚方市楠葉に久修園院 (*) を開き、淀川で最も古い橋・山崎橋が架けられた。また「天平十三年記」によれば、高瀬大橋、長柄、中河、堀江にも橋を架け、高瀬堤樋、茨田堤樋、楠葉布施屋などをつくり、「日本霊異記」によると、難波の堀江に、船津(港)を開いたとある。
- 和気清麻呂/ 延暦4年(785)桓武天皇の命で、治水工事を行い、淀川を三国川(現神崎川)に分流させる。
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- 豊臣秀吉/ 天正19年(1591)淀城築城開始。天正20年(1592)山崎に橋を架ける。文禄3年(1592)伏見城築城開始。淀城の天守・櫓を移築。同年、巨椋池を築き、宇治川の流れを付け替える。文禄5年(1596)毛利輝元・小早川隆景・吉川広家らに命じ、自ら監督して伏見・大坂の両堤防を修築。
- 徳川家康/ 慶長8年(1603)過書船に朱印状を与えて営業許可を再確認する。
- 河村瑞賢/ 貞享元年(1684年)、幕府の命を受け安治川を開削し、これにより、船が海から直接市中へ入れるようになった。