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つれづれなるままに日暮らし

大阪・大和田

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歴史
約1600年前、淀川の分流であった古川の洪水から集落を守るため、仁徳天皇の命によって築かれた茨田堤(まんだのつつみ)があり「日本最古の治水工事」とも言われ大阪府の史跡に指定されている茨田堤跡がある。

京阪線が開通時は併用軌道であった。1931年(昭和6年)7月に新設軌道に改修され翌1932年(昭和7年)に大和田駅は開設された。

1952年(昭和27年)に列車増発の為に待避線が建設された。高架化工事が始まるまでの線路配線は京都行きは外側が本線、内側が待避線・大阪行きは内側が本線、外側が待避線という変則的な配線(現在の香里園駅と同じ配線)[1]で、 当駅での折り返し列車の設定がされるなど拠点駅となっていた。

1963年(昭和38年)4月・橋上駅舎の建設の基礎工事中に地下2mより20.5cm~26.5cmの小型銅鐸3ヶが出土、銅鐸が平地で出土した例はほとんど無く、詳しく調査され「大和田遺跡」として文化財登録がされる。現在、出土した銅鐸は東京国立博物館に保管されている[2]。

1972年(昭和47年)に土居駅寝屋川信号所までの高架複々線化工事の着工進展に伴い、1974年9月京都行きホームが北側(淀川より)に移設・続けて同年12月大阪行きホームも移設して「中央に通過線を持つ4線相対式ホーム2面の駅」になり旧駅跡では高架工事が本格化。1973年、複々線高架駅化された[1]。

茨田堤(まんだのつつみ)*