Google (Six Degrees of Separation)
出所:勝間和代オフィシャルメールマガジン 〔*〕
さまざまな社会実験やSNSの調査で、人間関係は、だいたい
「6次の隔たり」の範囲であり、
すなわち、知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの知り合い、くらいまでたどると、ほとんどの人がつながってしまう、ということがわかってきています。
実際、facebookなどで、へーー、この人とこの人が知り合いなのか、とびっくりすることがありますよね?
また、以前、このメルマガで、つきあう相手が利他的な人なのか、利己的な人なのか、区分をできる能力を持っていると言うことを記しましたが、そのことについての知識も積み重なってきます。
すると、さまざまなボランティア活動などを行っていたり、飲み会に参加したりすると、ついつい、私たちはその情報を人と共有するため、自然といろいろな人の評判が耳に入ってきてしまいます。
そうすると、自然と私たちはますます、「利他的」と評判がある人はつきあいを厚くするようになるし、「利己的」という評判がある人とは近寄らないようにするし、つきあいを制限するようになります。
そうなると、利他的な人はますます情報や人脈、チャンスが集まるようになるし、利己的な人はますます、人が遠ざかり、人脈やチャンスが減ってしまいます。
エンジン01のオープンカレッジを開いているときにも、とにかく、利他的な人はびっくりするくらい、ボランティアで参加してくださっている地元の方々一人一人に声をかけ、笑いかけ、お礼を言って歩きます。
一方、有名人には一目散に近づいて挨拶するけれども、そのほかの人はまったく目に入っていないのではないか、というような行動をとる人もいます。
しかし、その一つ一つを、私も観察していますし、また、活動をしていて「あれっ」と思うことがあると、その「あれっ」を他の人に問い合わせてみると、やはり、その人の過去の行動も、「あれっ」があったりするわけです。
すなわち、私たちは相手に対してどのくらい自分の時間を投資していいのか、常に情報を収集しているし、その結果に基づいて、相手に対してつきあおうとするから、運がいい人と運が悪い人は、どんどん、差が開いていってしまうことになります。
とにかく、私たちの行動は絶えず、誰かが見守っているし、そして、一つ一つをその場において、自分勝手な行動ではなく、周りとの調和を考えて、一人でも多くの人が
「この人と一緒にいてよかった」
と思ってもらわないといけないし、そのためにはやはり、当たり前のことですが
−相手との約束を小さなことでも必ず守り
−相手によって態度を変えず
−相手のためにできることはできる限り行う
という繰り返しこそが大事です。また、そのような人には、周りの人がどんどんその人に集まってくるため、ますますその人は利他的に振る舞うことが当たり前になっていくんだなぁ、と感じました。
6次の隔たりの意味は、人は6次しか隔たっていないと言うことでもあり、とにかく、「自分一つ一つの行動は、いつも誰かにばれている」という気持ちで、規律正しく行動し、考えることなのだなぁ、と感じました。
すなわち、「お天道様が見ている」というのは、「6次しか隔たっていない人たちが誰か見ている」ということなのかもしれませんね。
ただ、そんなことをいちいち意識をしなくても、いずれにしても、上に書いた3つは当たり前のことだし、それをやることで自分が気持ちいいのだから、評判をよくするため、などと気負わずに、自分がそうしたいからそうしよう、と思う方がいいのかもしれません。