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つれづれなるままに日暮らし

ハプログループD1b(2014.5.23命名)

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ameblo.jp 2016-06-01 17:24:13

「日本人とは何か?」について考える時、近年目覚ましく進歩している遺伝子解析の研究を無視することはできません。というのも、日本人は、他の民族にはほとんど存在しない固有の遺伝子配列をいくつも持っていることが、最近、注目されているからです。
それらの固有遺伝子の存在は、1990年代後半から急速に発達した研究分野である、比較的長期にわたる追跡が可能な父系遺伝子をたどるY染色体の研究の中で、2000年代になってから明らかになってきました。実際、Y染色体命名が世界的に標準化されたのは、2002年のことです。そして、その後も、いくつかの重要な命名・改定が繰り返されながら現在に至っています。
このY染色体の特殊な配列の一つは、ハプログループD1b(2014.5.23命名)と名付けられているもので、およそ3.5万年前に日本列島に辿り着いたと考えられています。現在、本土日本人・アイヌ・沖縄に固有のものとされ、日本列島の住民以外ではほとんど見られません。そのため、縄文人由来の遺伝子配列と考えられており、俗に〝縄文遺伝子〟と呼ばれています。後で述べますが、この発見が、古代史に新たな光を当てることを可能にしました。まずは、こうした最新の成果を踏まえながら、この国の古代史をゆっくりと紐解いてみましょう。
ただし、Y染色体の研究は非常に新しい分野なので、Y染色体ハプログループのデータは、まだまだ正確とは言い難いものがあります。ですから、保有%の数値や発生年代なども、どんどん修正されているようです。ということで、データの数値の正確さについては、大目に見てくださいね。
それでは、本題に入りましょう。
まず、最初に、日本人のY染色体の遺伝子配列(ハプログループ)には、世界中でも日本にしか見られない配列が、三種類もあるということに注目したいと思います。
一つは前述のD1b(35~40%)であり、もう一つはC1a1(2.3~4.5%)、それからO1b2a1a(22~25%)があります。さらに、この三種類のハプログループは、遡れば、出アフリカを果たした三つの系統、CとDEとFに、それぞれ繋がります。
このように、出アフリカを果たした全系統に渡って、三種類ともが、国内にほぼ均等に存在する地域は、世界でも珍しいのです。しかも、それぞれのハプログループが、その地域だけにしか現存していないとなると、そんな希少な地域や国は他に見当たりません。
こうした日本人固有の世界に類のない独特の父系DNA組成は、現在のアイヌ人・琉球人に繋がる古モンゴロイド種の縄文人と、紀元前5世紀以降に中国大陸から渡ってきた新モンゴロイド種の弥生人との間での、平和的な共生と強制的でない緩やかな混血によって生まれました。
縄文人が、今日のアイヌ・沖縄の人々との関係が深いことは、すでに1980年代からの研究で、M7aという母系遺伝子の配列(ミトコンドリアDNAハプログループ/mtDNA)が、日本人(7%)の中でもアイヌ(16%)と沖縄(23%)に特に多く、縄文人の骨からも複数検出されていることから、以前から注目されていました。M7aは、25000年ほど前に、M7から分岐した母系グループで、現在、日本にもっとも多く、特に沖縄とアイヌに多い母系遺伝子です。他では、朝鮮半島で3%ほど見られます。このM7aを持つ人々は、南方から来たのではないか、という説が、定説でした。つまり、この説によれば、縄文人は南から来たということになります。
その後、1990年代以降、DNA解析技術の急速な進歩によって、父系遺伝子の配列が明らかになってきました。そして、前述のように、日本人にしか見られない特殊な父系の遺伝子組成の存在が、注目されています。
この縄文人DNA(ハプログループD1b)は、日本人全体の35~40%(本土では東北・関東で高く、九州北部・四国・中国で低い)、沖縄では45~56%(中でも本島北部と宮古島は特に高い/石垣・八重山諸島では4%しかない)、アイヌ人では88%が保有しています。
ところが、その他の民族では、朝鮮民族でわずかに4.0%、ミクロネシアで5.9%いるだけで、台湾にも中国にも満州にもモンゴルにもチベットにも東南アジア諸国にも一切保有者がいないのです。日本の周辺諸国でさえ、このDNA配列を共有する民族は、ほぼ皆無ということです。
ただ、チベットには、親戚筋に当たるハプログループD1aを持つ人が48%います。そして、日本とチベット以外に、D系統のY染色体配列を10%以上保有する民族・地域は、現在、地球上にほぼ存在しません。
このD系統の遺伝子は、北方系古モンゴロイドの遺伝子と考えられており、日本列島は、チベットとともに、古モンゴロイドの血統を受け継ぐ希少な地域なのです。古モンゴロイドは、およそ6万年前に、アフリカ北東部で黒人種(E系統)と分化した最も古い黄色人種の種族で、後に、2.5万年前に、北東アジアで極北遺伝子Nと分岐したO系統の新モンゴロイドが大陸に分布した後も、険しいチベット高原と海を隔てた日本列島にだけ残ったものと思われます。ただ、もっとも近い親戚関係にあるチベット人(D1a)と日本人(D1b)も、4万年前に分岐したと考えられています。その後、3.5万年前のマンモスハンターとして、D1b種族は氷河を越えて、当時は大陸と地続きだった日本列島に、北方からやってきたのかもしれません。少なくとも、D1bが、南方系(スンダランド由来)という確たる証拠はないのです。
ですから、日本人は、朝鮮人とも中国人ともモンゴル人とも異なる、固有の遺伝配列を持つ、北方系ないしは南方系の古代人種の末裔なのです。また、日本人全体の中でも、原日本人である縄文人の遺伝子(D1b)を最も多く持つのがアイヌ人(88%)であり、そのアイヌ人に一番近いのが、本土の和人ではなくて、距離の遠く離れた沖縄の宮古島であるということです。
特に、血液中で白血球が抗体を作ってきた歴史を辿ることによって、人種間の混交の仕方を血液型から判別できるGm遺伝子配列を見ると、アイヌ人と宮古人との近似性が非常に高いようです。実際、宮古島は、沖縄本島とも石垣島八重山諸島)とも、言葉も容貌も異なります。彫りの深い顔立ちは、アイヌ宮古に共通する北方系の特徴です。私見ですが、宮古アイヌは、伝統的な民謡や舞踊にも、どこか共鳴するものを感じます。
宮古島には山がなく、水源に乏しいので、沖縄本島石垣島と異なり、寒冷な蝦夷地(アイヌの土地)と同様に稲作が不可能でした。それゆえ、大陸から渡ってきた弥生人(新モンゴロイド)が定住することがなく、混血がすすまなかったのでしょう。そのため、アイヌ宮古だけに、色濃く縄文の血統と文化が保全されたものと思われます。
モンゴロイドの一派である縄文人(後期旧石器時代人)は、第三氷河期の終わりにあたる1.6万年前、太平洋の水位の上昇によって、それまでユーラシア大陸と地続きだった日本列島が、日本海を挟んで大陸から分離して以来、およそ1.3万年(BC16000年~BC1000年)に渡って独自の新石器文化を築いていきます。北は北海道から南は沖縄まで、一つの閉ざされた生活圏・文化圏が形成されたのです。
縄文文化は、根菜・雑穀の単純農耕除き、ほとんど農耕がない採集狩猟の生活でありながら、一年を通じて定住するという、世界でも珍しいタイプの生活・文化圏です。青森県三内丸山遺跡のように、縄文中期(BC3000年頃/5000年前)に、およそ1500年間にわたって、最盛期には500人の定住者がいたと推測されている遺跡もあります。
そして、この時期に、大陸にはまったく存在しない縄文特有のもう一つの父系遺伝子型(C1a1:4.2万年前に発生?)がすでに存在したと考えられます。ちなみに、このC1a1は、現在、日本人に2.3~4.5%ほど存在し、日本以外の地域ではまったく見られません。
沖縄(6.6%)に多く、アイヌ(0%)にいないため、東南アジア由来の南方系海洋縄文人の血統とも考えられています。しかし、沖縄以上に、むしろ青森(7.7%)や徳島(10%)にも多いので、南方系と断言はできません。また、このC1a1の親戚のC1a2は、現代でもヨーロッパに極めて少数存在し、同時にスペインの7000年前の人骨から発見されています。そこから、C1aは、6万年前に出アフリカを果たした、もっとも初期のクロマニヨン人の血統ではないか、とも言われているのです。
その後、およそ5万年前に、C1a1は東に、C1a2は西へ分かれたのです。ただし、C1a1が、どうやって日本にたどり着いたのか、その経路は完全に闇に閉ざされています。北方からという説もあれば、南方からという説もあります。
ただ、遠い親戚であるC1b2は、海洋狩猟民で、5万年前に、すでにオーストラリアに到達しています。ですから、C1a1の日本への経路も、南からだろうという意見が強いのです。とは言え、遠い親戚ですから、決定的な根拠にはなりません。ともかく、経路はどうあれ、このC1a1は、D1bが日本に到達するよりはるか以前、4.5万年前に日本列島にたどり着いた、最古の日本人かもしれないと言われています。
さらに、2万年前には、北方からC2系統の北方遊牧民が多少入ってきたようです。こちらは、現在、モンゴル人に55%、朝鮮人で10%、日本人では6%が保有し、アイヌでは12%と多く、沖縄では0%です。この分布が、C2が北方から来たとされる根拠です。
現在、日本人のY染色体ハプログループの割合は、O系統(弥生系)が50%、D系統が40%、C系統が8.3%です。O系統は弥生人ですから、縄文人Y染色体は、D1bが主流で、それに、すでに日本列島にいたC1a1、さらに北方からC2が流入して、多少混ざったものだったと考えられます。特にD1bとC1a1は、どちらも非常に古いY染色体の遺伝子配列で、しかも、日本以外では、ほとんど見られないものです。
さて、その後、長江文明の衰退と春秋戦国時代(BC770年~)の戦乱によって、中国南方系の人々(初期弥生人/新モンゴロイド/O1b系統)が、紀元前10世紀ぐらいからポツリポツリと日本列島に渡ってくるようになりました。彼ら、初期弥生人保有していた父系遺伝子配列が、O1b2と考えられています。この遺伝子の一つに、日本にしか存在しない派生遺伝子O1b2a1aがあります。
彼ら初期弥生人(O1b2系統)は、長江文明にルーツを持ち、黄河文明に駆逐されて、江南から山東や日本列島へと移動した人々と考えられています。主に九州や本州西部に移住し、稲作と金属器を日本に持ち込みました。大陸からきた弥生人は比較的少数で、平野部分や盆地に定住し、土着の縄文人の方は、主に海岸や山地で生活していたので、当時は、ある程度の住み分けと交流、および共生が可能だったようです。
ちなみに、この〝弥生遺伝子〟の主流であるO1b2a1aは、4000年ほど前に長江流域で発生したO1b2を祖型とし、日本で派生したものです。現在、日本の全国平均で25%を占めますが、沖縄では11%、アイヌでは0%です。その他の国では、インドネシアで8%、朝鮮で4%、ベトナムで3%ほど見られますが、ほかではほとんど見られません。中国本土でも、O1b2は、戦闘的な漢民族(O2)によって駆逐され、今では影も形もないのです。D1b、C1a1と並んで、このO1b2a1aもまた、日本人固有の遺伝子と言ってよいと思います。ちなみに朝鮮半島南部には、弟筋のO1b2a1bが、33%存在します。おそらく、日本から渡ったO1b2a1が、半島で変異したのでしょう。つまり、稲作文化は、順番としては日本列島から朝鮮半島に渡ったようにも見えるのです。
話を戻しますが、さらに、紀元前2世紀以降、秦の統一前後の戦乱と漢末から三国時代にかけての戦乱を逃れて、後発の後期弥生人たち(O2系統)が大陸から渡ってきました。そのうち、BC3世紀以降に渡来したO2系統の初期武装集団は、北九州と山陰に奴国や出雲国家などの王朝を築きました。彼らは中国語を話す大陸渡来の漢民族のみのグループでした。ですから、このO2グループは、C系統・D系統・O1b2系統の先住民族による平和的な共同体を駆逐し、征服していったことでしょう。彼らは、中国の〝戦国〟を日本に持ち込んだのです。
その後、紀元150~200年頃、後漢末に、もう一度、別のO2ないしはO1b2集団の渡来がありました。そして、彼らの一部は、すでに北九州の福岡に拠点を築いていた奴国など古参の武装闘争グループ(O2)の国と直接争うのは分が悪かったので、強国の勢力圏を避けて、九州南部などに新たな拠点を築いたのです。
そうした新参の勢力の一つが、邇邇芸命ニニギノミコト)に率いられたグループ(天孫氏)と考えられています。彼らは宮崎県あたり(縄文DNAの割合が低い九州で、唯一縄文系D1b遺伝子が濃い地域)の稲作が可能な土地にひとまず落ち着き、強力な古参の大陸系勢力との対抗上、九州山地の土着勢力と手を組みました。
つまり、邇邇芸命は、南九州縄文人のリーダー大山祗神(オオヤマズミノカミ)の娘である木花咲耶姫コノハナサクヤヒメ)と婚姻による同盟を結ぶのです。こうして天孫氏は、土着の有力な縄文勢力と血を分けた一つの部族となることで、日向の地(宮崎県)に急速に勢力を拡大していきました。
ですから、この2人の子供である、有名な海幸彦と山幸彦の兄弟は、縄文人の母(木花咲耶姫)と弥生人の父(邇邇芸命)を持つハーフということになります。さらに、弟の山幸彦は、本人自身も、縄文系の〝沖縄〟のリーダー綿津見神(ワダツミノカミ・海神・竜宮神)の娘である豊玉姫と婚姻関係を結びました。そして、父と同じ手法で南方海洋部族の力を手に入れた山幸彦は、九州縄文系山地民の王となっていた兄に戦いを挑み、これを破りました。こうして山幸彦は、琉球縄文勢力と九州南部の縄文勢力〝熊襲(クマソ)〟を統合する強大な王となったのです。
その後、沖縄・南九州の盟主となった山幸彦と豊玉姫の子が、さらに豊玉姫の妹と婚姻関係を結び、四人の男の子を生みました。この四人の子どもたちが、3世紀の初め頃に、南九州から近畿地方へと攻め上がるのです。そして、この四兄弟の中で、近畿制覇の戦いに勝ち残り、近畿王朝(大和国家)の礎を築いたのが、末っ子の初代神武天皇です。ここから、およそ1800年に及ぶ天皇家の系譜が始まります。
ここで、考えてみましょう。天皇家初代である神武天皇の血統は、土着の縄文系(D1b)が7/8を占めています。つまり、ほとんど縄文人と言ってよいのです。しかも、沖縄の血が3/4入っており、逆に中国系弥生人(O1b2系統:現代日本人の35%/O2系統:現代日本人の15%)の血は1/8しかありません。ですから、天皇家は、基本的に縄文人です。
この傾向は、古代から近代まで続き、皇室のDNAは、ずっとD1bを持っていて、縄文系の血統が濃かったことが立証されています。そして、現在でさえ、縄文系(D・C)と弥生系(O)の日本人の遺伝子比率は、ほぼ1:1で拮抗しています。しかも、征服者であったはずの武装闘争グループであるO2(後期弥生人)の割合は、わずかに15~19%であり、あまりにも低すぎます。
つまり、古代において、弥生人による縄文人の征服や支配は、起こらなかったのです。もし、大陸から来た弥生人縄文人を駆逐し、わずかに蝦夷熊襲にだけ残ったのだとしたら、 日本列島にこれほどDとCのY染色体が存在するわけはありません。むしろ、弥生人は、 長い時間をかけて、縄文社会に徐々に平和的に溶け込んだのです。ですから、弥生人の中国由来の文化が、縄文文化を抹殺してしまうということも、起こらなかったのです。
また、言語の面から考えても、日本語はD・C系統のSOV型の言語であり、江南(長江流域)から渡来した初期弥生人(O1b2)や、華北から朝鮮経由で渡来した後期弥生人(O2)などO系統の人々の言語体系であるSVO型文法とは、はっきり異なります。ですから、縄文の言語が、日本語のルーツであることは明らかです。
ちなみに、SOV型の文法体型は、和語・琉球語アイヌ語朝鮮語チベット語モンゴル語に共通しています。言語の類似性は、和語と琉球語は、ほぼ等しく、宮古語アイヌ語では語彙や発音に類似が見られ、朝鮮語とは語彙が大きく異なります。おそらくは、アイヌ語こそが、古代の縄文語であり、日本語のルーツなのでしょう。(*一方で、中国系のO系統が80%を超える朝鮮人の言語が、D・C系統のSOV言語であることに関しては、古代の縄文系近畿王朝による半島支配が理由とも考えられます。)
そう考えると、やはり日本の国の成り立ちにおいて、縄文人の果たした役割の大きさは、計り知れないものがあります。ですから、「日本人とは何か」を考える上で、縄文系文化が、この国の文化の基盤を成していることを、重視しなければなりません。縄文こそが、日本人の心の故郷なのです。
さらに、文化を研究する上で、最も重要なのは、アイヌ文化と宮古文化に見られる縄文の痕跡です。例えば、アイヌ人と宮古人に共通する文化的特色として、火の神への信仰があります。これなども、火山活動の激しい日本列島で育まれた、火炎式土器に代表される列島固有の縄文文化の影響が、色濃く残っているものの一つです。
そして、火の神への信仰は、竈神(カマドガミ)の信仰に通じます。そういう意味で、火の神を崇めるのは、基本的には台所をあずかる女性の領分なのです。
縄文時代の指導者は、政治的指導者と祭祀指導者を兼ねる女性の存在に特徴があります。そのような女性リーダーが身に付けていた装飾品が、貝輪とヒスイの首飾りです。縄文時代には、土偶に見られるような地母神信仰が根付いており、憑依シャーマン的な女性指導者が、強い権力を持って共同体を統合していたと考えられています。おそらくは、D1b系統ハプログループの部族が、そのような母権の強い社会だったのでしょう。一方で、C系、特に北方遊牧民のC2は、男性首長に率いられた部族だったはずです。それでも、多数派のD1b系女性優位社会の伝統が、日本列島の文化的基調となったのです。
そして、次の時代になっても、父権の強い大陸系弥生人の政治文化に対して、母権の強い縄文の政治文化が影響を与えた様子が、「3世紀後半に邪馬台国大和国)において、卑弥呼や伊与などの女王の擁立によって、内乱の続いていた国内がようやく治まった」という魏志倭人伝の記述からも、うかがえます。縄文系母権文化の根強い近畿王朝においては、男性の王では国がなかなかうまく治まらなかったのです。そして、その後も、こうした巫女の権力は、近代琉球王朝聞得大君(キコエオオキミ)や神女(ノロ)の権威へと、連綿と受け継がれてきたのです。
切断し、支配する父性に対して、母性は、すべてを内に包んで育みます。次々と王朝が滅び去り、目まぐるしく民族が入れ替わって、王統が断絶していく世界史の中で、唯一、日本の皇統だけが、1800年の長きにわたって続いているのも、決して偶然ではないのです。「西洋は父性原理の文明だが、日本は母性原理の文明だ」と言われるゆえんが、ここにあります。
しかし、母性だけで、父性がなければ、やはり文明は起こり得ません。父性のタガの外れた母性は、すべてを飲み込み、無に帰してしまう太母(グレートマザー)となってしまうからです。日本文明が急速に発達し始めたのも、母性原理の世界に強い父性原理を持つ人々(弥生人)が、大陸からやってきたことによります。
本来は、母性原理に依っていた信仰が、縄文人古神道のあり方でした。それが、父性原理の強い弥生人の列島侵入によって、次第に父性原理が優勢になっていきました。けれども、完全に父性原理中心の国になったわけではありません。あくまでも、この国のベースは母性原理にあるからです。
しかし、たとえば、日本神道の主神は天照大神という女性神なのですが、一方で天照大神は男性原理の象徴である太陽神です。この点に、日本神道における、縄文と弥生の融合をわたしは感じるのです。
また、優しい女神である天照大神の弟は、荒々しい須佐之男命(スサノオノミコト)です。天照が近畿王朝の祖先神であるのに対して、須佐之男命は出雲王朝の祖先神です。また、スサノオの子孫が、この国の初代の統一支配者である大国主命オオクニヌシノミコト)です。
古代以来、スサノオオオクニヌシは、出雲大社に祀られてきました。というのも、土着縄文系(D1b)の近畿王朝が、朝鮮系弥生人(O2)の出雲王朝を滅ぼした時に、出雲の王統を完全に断つことをせずに、出雲大社の国造(神主の一族/千家家)として残すという母性原理的な道を選んだからです(国譲り)。一方で、縄文系の翡翠姫の治める越国が、出雲王朝に滅ぼされる時には、かなり強引に苛烈に男性原理的に従属させられています。出雲の天下は一時的なもので、すぐに、同じ縄文系の近畿王朝の支配下に入るのですが、それによって越国は完全に消滅してしまいました。
それでも、新潟県糸魚川市には、土着の女神翡翠姫(奴奈川姫/ぬなかわひめ)を祀る神社が三つもあります。日本以外で、その地を治めていた前王朝の王や女王が、国が滅びた後に、神として末長く崇められるような国は、めったにありません。征服者は、土着の信仰を根絶やしにしたがるものだからです。
この奴奈川姫は、古事記では出雲の神である大国主神の妻となったとされる女神です。この奴奈川姫こそ、縄文時代、最高級の宝石であった翡翠の産地新潟県糸魚川地母神であり、国譲り(出雲による征服と、続く近畿王朝への服属)以前には、この地を治める女性指導者は、翡翠姫(奴奈川姫)と呼ばれ、女王として翡翠の勾玉の首飾りを身に付けていたと考えられます。
糸魚川は、縄文中期(BC3000~BC2000年頃)には、日本列島で最も人口が多く(27万人)、フォッサマグナにのみ産出する翡翠の産地として、経済的・文化的中心地でした。この縄文文化の中枢を治めていた女王が、沼名河比売(ぬなかわひめ)だったのです。
やはり、縄文の古神道のルーツは、旧石器時代にまで遡ることのできる普遍的な〝母なる大地の女神〟への信仰にあったと言えるでしょう。そして、その地母神信仰を基盤とする母権社会と母性原理の精神文化は、この国の歴史の中で滅びることなく生き延び、今日の日本人の精神にも脈々と受け継がれているのです。
古代以来、土着の縄文系大和国家が、軍事征服した朝鮮系弥生系の出雲王朝の王統・神(スサノオ大国主)を完全には滅ぼさず、出雲大社に盛大に祀り続けているのも、朝廷が、聖徳太子一族を滅ぼした後に、太子一族の氏寺である法隆寺を大切に守り続けているのも、関東で反乱を起こして殺された平将門が、将門神社で祀られているのも、公家勢力が衰退して武士の時代になっても、武家政権天皇家の朝廷を尊び、その存続を許したのも、自ら滅ぼした相手の祟りを恐れ、敵をも大切にする縄文精神の為せるわざです。
最近話題になった出雲大社国造の嫡男で宮司千家国麿氏と天皇家高円宮典子様との婚姻も、そうした融和文化のさらなる深化という点で、大変めでたいことです。このように古代から現代に至るまで、日本人の融和と共存の精神は変わらず保たれています。つまり、日本という国は、旧石器・新石器時代人(縄文人)の母系文化をベースに成立し、その伝統を保っている現時点で唯一の先進国なのです。
一方で、弥生人は、春秋戦国時代及び漢末の動乱期の中国から、強烈な男性原理の文化を、日本に持ち込みました。ただ、この国の場合、その男性原理が、決定的に支配的になることが、歴史上ついになかったという点で、中国文明ともインド文明とも西欧文明とも異なります。
例えば、美しい豊穣の女神だったメデューサが、蛇の髪をした人を石に変える恐ろしい化け物にされてしまったように、世界の他の地域では、母系の神々は、すべて男性神によって打ち倒されてしまいました。日本だけが、この相対立する神々を共存させることに成功しているのです。
また、日本の主婦は、夫の収入を完全に管理していて、夫にお小遣いを渡している人が多いのですが、これはアメリカ人などからすると考えられないことです。アメリカ人の夫ならば、自分の給料は完全に自己管理するのが当たり前で、奥さんには生活費とお小遣いしか渡しません。
こうした日本人の独自性を生み出した源は、わたしたちの身体に色濃く流れる縄文の血です。実際、完全に縄文人のDNA配列を受け継いでいるのが、日本人の約5割(D1b⇨35~40%、C1a1・C2⇨8~10%)に過ぎないとしても、日本人の9割は、縄文人の遺伝子配列(血)の影響を、大なり小なり何らかの形で、受けていると言われています。その影響が色濃いか薄いかの違いはあるとしても、やはり、古来からの伝統を受け継ぐ日本人であることに違いはないのです。
それから、はっきりさせておきたいことは、「日本人(日本民族)とは何か?」を考える上で、アイヌ人と沖縄人は、決して除外すべき異民族ではないということです。それどころか、アイヌと沖縄(特に宮古島)にこそ、日本人のルーツがあると言っても過言ではないのです。ですから、2008年に国連が、沖縄を日本の中の少数民族地域と勧告したことは、明らかに誤りです。アイヌ人のY染色体ハプログループは、縄文系(D1a)88%、縄文系北方遊牧民(C2)12%で、圧倒的に縄文人です。沖縄人の場合も、縄文系(D1a・C1a1)61%、弥生系(O1b2・O2)39%で、縄文系が濃厚です。
ですから、ここ千数百年の歴史の歩みの中で、不幸にも一時的に、はぐれてしまったことがあったとは言っても、1万年の日本民族の血脈の中では、アイヌ人も沖縄人も、同じ一つの日本民族であることに違いはないのです。
そう考えると、沖縄の古神道や精霊信仰(アニミズム)や先祖崇拝には、仏教や儒教を受容する以前の日本人の信仰心のあり方が、色濃く反映されており、沖縄人の精神世界には、縄文人の〝心〟が宿っているように思われるのです。アイヌの人々の心のあり方についても、同様のことが感じられます。
伝統的な土着の精神文化に支えられた個人の内面は、世界と運命への信頼に基づく静かで安定した安らぎの中にあります。彼らの心は、疑いとざわめきの中で生きる現代人の心とは対極にあるものです。なぜなら、そのような土着の精神文化を否定し、侮蔑し、消し去ろうとするところから、近代の教育はスタートしたからです。現代文明自体が、固有の精神文化を解体する装置として機能しているのです。そのため、高い教育を受けた者ほど、そのような土着の精神文化を卑下する文明の罠に深く囚われています。
〝現代人の心の再生〟をテーマとする時、わたしたちは、このことをよくよく考えてみなければなりません。
繰り返しますが、日本人の遺伝子の半分は、ユーラシア大陸で最古の遺伝子(C1a1・D1b)であり、残りの半分は最も新しい種類の遺伝子(O1b2・O2)なのです。このようなバランスを持つ地域は、地球上でも本当に稀です。
そのせいか、この国には、最も古いものが、最も新しいものと無理なく自然に共存するという、世界に類のない特性が、至る所で見られます。融和と共生の精神が息づいています。世界の絶滅危惧種であるD系統ハプログループが、この国にこれほど多く生き残っていることの意味を、深く考えてみてください。
この国に深く根付いているポリシーは、「決して敵を滅ぼさない」「根絶やしにしない」ということです。「敵を滅ぼす者は、自らも滅ぼされる。」わたしたちの祖先は、その真理を歴史からも学び、その知恵を「平家物語」「太平記」のようなカタチでも語り継いできました。
たとえ、歴史上、不幸な時期がいくつかあったとしても、そのことをもって、この国の本質を見誤ってはなりません。先の大戦の不幸は、日本人の心に、いまだ大きな影を投げかけてはいますが、それでもあえて言わせていただきたいのです。「歴史の真実をみつめましょう」と。
「平和を尊び、神と人を信頼する人々が、絶えることなく数万年を生きてきた国。」それが、私たちの住む国、日本です。

【参考】
Y染色体ハプログループ〉

1.A(第一世代)➡12~20万年前に、寒冷化によって食料の乏しくなった中央アフリカの森を出て北上し、エチオピアで発生した、もっとも古いY染色体ハプログループ。Y染色体アダムと呼ばれる現存する最古の系統。その後、草原の狩猟民として、南アフリカの草原地帯へ南下した。
このうち、およそ6.5万年前に派生したA1bは、南アフリカカラハリ砂漠に住む、現生する最古の人類である狩猟民のコイサン語族ブッシュマン・ホッテントット)に多く、44~65%存在する。また、マサイ族には27%存在する。このA系統は、出アフリカしていない。身長が低い。女性は、お尻が突き出ている。
日本人にはA系統は存在しない。

2.B(第二世代)➡8万年前に、Bは、Aから分離し発生した。さらに、およそ6.5万年前に、Bから派生したB1aは、現在、中央アフリカのピグミー(ネグリロ)に多く、60%ほどの頻度で存在する。
Aと同じく、B系統もまた出アフリカしていない。Bは、森の生活に順応したため、先祖返りし、身長150cm以下(平均120cmほど)と、身長が非常に低い。筋肉質で、胴と腕が長く、足が短い。頭が大きく、毛深く、体毛は細く、縮れている。女性は、お尻が突き出ている。
日本人にはB系統は存在しない。〔A⇨B〕

3.C(第三世代)➡およそ7万年前に、エチオピアでAから分離し発生したCTは、ユーラシアン・アダムと呼ばれる。さらに、このCTが、6.5万年前に、アフリカ北東部でCFとDEに分離した。その後、6万年前に、おそらくはアフリカ北東部か西アジアで、CFはCとFに分離し、その両方が出アフリカを果たした。
このうち、特に、C系統は、〝冒険遺伝子〟とも呼ばれ、最初に出アフリカを果たし、世界中に広がった。このC系統のうち、最古の系統C1a1は、現在、日本のみに2.3~4.5%(125~250万人)存在する。沖縄(6%)に多く、アイヌには存在しないので、南方系の海洋航海民の縄文遺伝子とも考えられている。ただし、徳島(10%)や青森(7%)でも、沖縄以上に頻度が高いので、やはり北方系ではないか、という意見もある。
このC1a1と最も近縁のC1a2は、ヨーロッパに、ごくわずかに見られる。このC1a2は、旧石器時代人の人骨や新石器時代人(7000年前のスペインの人骨)からも発見されており、最古のクロマニヨン人の系統に繋がるのではないか、とも考えられている。
なお、出アフリカ後、C1a系統は、およそ5万年前に、C1a2が西(欧州)へ、C1a1は東(東アジア)へと移動した。しかし、C1a1の日本までの移動ルートは、C1a1が日本にしか現存しないため、まったくの謎である。
また、近似種のC1bのうち、C1b1は西アジアに残り、C1b2は南方(オセアニア)へ向かった。そして、C1b2は、5万年前に、ニューギニア島とオーストラリアに達した。現在、クック諸島に82%、アボリジニサモアタヒチに65%、マオリに43%、トンガに35%、フィジーに22%存在する。このC1b2系統は、南太平洋のオセアニア地域一帯に広がっているということだ。
その一方で、C2は、3万年前、ユーラシア大陸内陸部の中央アジアで派生し、現存するハプログループとしては、最初にアメリカ大陸に渡り、南アメリカ大陸の最南端にまで達した。現在、カザフ人に67%、モンゴル人に55%、満州族に27%、ウズベク人に20%、シャイアン・アパッチなどアメリカインディアンに15%、アイヌ・朝鮮に12%、漢民族・日本人全体では5.5~6%ほど存在する。このC2は、ユーラシア大陸の北方遊牧民の遺伝子と考えられている。チンギス・ハーンヌルハチ堺正章はC2である。
このC系統は、現在、C1a1とC2を合わせて、日本人の8.3~10%を占める。〔A⇨CT⇨CF⇨C〕

4.D(第三世代)➡6.5万年前、ユーラシアン・アダムCTが、CFとDEに分離し、およそ6万年前に、おそらくはアフリカ北東部で、DEはDとEに分離した。このうち、Dは、出アフリカを果たし、東アジアへ向かった。
最も古い未分化のDは、スマトラ島北西にあるアンダマン諸島(インド)の先住狩猟民の二つの部族に、100%の頻度で存在する。ただし、現在、その人口は減少しつづけており、両部族合わせて400名ほどしかいない。ごく希少種である。小柄で黒い肌で、彫りが深い顔立ちをしており、二重瞼で黒い縮毛である。
Dから5.2万年前に派生したD1aは、寒冷な高緯度での生活により、肌が黒色から黄色になったと考えられている。現在、D1aは、チベット人に、50%(250万人)存在する。その他の地域には、ほとんど見られない。
さらに、D1aから4万年前に分離し派生したD1bは、現在、世界の中で、ほぼ日本でのみ見られる。日本人に35~40%(2100~2400万人)存在するが、特にアイヌ人に88%、沖縄では45~55%存在するため、D1bは縄文遺伝子と呼ばれる。
このD系統は、広範囲に移動したC系統とは異なり、南北アメリカ大陸やオセアニア州には、まったく見られない。また、ユーラシア大陸では、チベットにしか存在しない。そして、現在、D系統の世界最大の集積地は、日本(90%)である。
Dの東進経路としては、北アフリカ西アジア⇨インド⇨チベット⇨中国⇨日本という内陸経路が正しいように思われる。ただし、現在、アフリカ、西アジア、インド、中国に、Dはまったく存在しないため、痕跡は辿れない。A、Bに次いで希少な古代遺伝子と言える。〔A⇨CT⇨DE⇨D〕

5.E(第三世代)➡7万年前に、Aから派生したCTは、6.5万年前に、エチオピアでCFとDEに分離した。そのうち、DEは、6万年前に、アフリカ北東部か西アジアでDとEに分離した。その後、Eは、Dと違って出アフリカせずに、アフリカ全土に広がった。
現在、Eは、アフリカ最大のY染色体ハプログループである。このうち、E1b1aは、黒人に68%存在する。また、E1b1bは、北アフリカベルベル人に90%、その他、ソマリア・エジプト・エチオピア・アラブ・南欧サルディニア島ユダヤ人などに存在する。ハム語族(アフロ・アジア語族)を含む。
E系統は、ユーラシアン・アダムCTから分派した系統の中で、D・C・F系統とは異なり、唯一出アフリカしなかった。また、E系統は、日本人にはない。有名人では、ネルソン・マンデラバラク・オバマがE1b1aであり、ナポレオン、ライト兄弟ヒットラーアインシュタインがE1b1bである。〔A⇨CT⇨DE⇨E〕

6.F(第三世代)➡7万年前に、Aから派生したユーラシアン・アダムCTは、6.5万年前に、CFとDEに分離した。さらに、およそ6万年前に、CFは、北東アフリカでCとFに分離した。
このうち、Fは、出アフリカ後に、西はメソポタミアから東はインダス川流域までの中央アジア地域一帯に定住し、G~Tまでの14種類の系統を生み出した。直接の子孫はG,H,IJ,Kの4種類。Fは、現在、インドの先住農耕民ドラヴィダ人に多い。
F自体は、日本人にはない。〔A⇨CT⇨CF⇨F〕

7.G(第四世代)➡Gは、6万年前にCFから分離したFの子孫で、4万年前に、黒海カスピ海に挟まれたコーカサス地方で発生した。ロシア人のスターリンはG2である。また、アルプスで発見された5300年前の凍結ミイラ、アイスマンY染色体はG2a2a1bである。
G系統は、日本人にはない。〔A⇨CT⇨CF⇨F⇨G〕

8.H(第四世代)➡Hは、Fの子孫で、4万年前に、西南アジア(インド)で発生した。現在、ドラヴィダ人以前からのインドの先住狩猟採集民コヤ族に、Hが71%存在する。
さらに、ロマ(ジプシー)にも、H1aが、60%の頻度で存在する。
H系統は、日本人にはない。〔A⇨CT⇨CF⇨F⇨H〕

9.I(第五世代)➡Fの子孫であるIJから、2.5万年前に分離して、ヨーロッパに広まった。13000年前のクロマニヨン人Y染色体がI2aであることが確認された。
現在、I1は、ルーマニア人に50%、スウェーデン人・ノルウェー人に40%存在する。金髪・碧眼の身体的特徴を持つノルマン人の遺伝子である。ロシア人のトルストイはI1である。
一方で、I2は、バルカン半島に多く、ヘルツエゴビナに71%、ボスニア人に51%存在する。ドイツ人のルターはI2である。
I系統は、日本人にはない。〔A⇨CT⇨CF⇨F⇨IJ⇨I〕

10.J(第五世代)➡Fの子孫であるIJから、メソポタミアで、2.5万年前に分離して、中東に広まった。Jは、セム語族に重なる。
このうち、J1は、アラブ人に多く、イエメンに75%、サウジアラビアに65%、クウェートに55%、アルジェリアイラクに35%、チュニジアリビア・シリアに30%存在する。
一方、J2は、チェチェン人に55%、ウイグル人クレタ人に35%、ウズベクキプロスレバノンイラクに30%、ユダヤ人に25%存在する。ティムールはJ2である。
J系統は、日本人にはない。〔A⇨CT⇨CF⇨F⇨IJ⇨J〕

11.K(第四世代)➡Fの子孫で、4.7万年前に西アジアで発生した。Kは、L~Tまでの9種類の系統の祖である。Kは、4万年前、K1とK2に分離し、そのうち、K1は、L・Tの祖となり、K2は、MS・N・O・Pの祖となった。〔A⇨CT⇨CF⇨F⇨K〕

12.L(第五世代)➡K1の子孫で、3万年前に西アジアで発生した。L系統は、パキスタン少数民族であるブルショー人で48%、カラシュ人で23%存在する。Lは、2.5万年前までにインドに広がった。12000年前に農耕を始めてインダス文明を築いたドラヴィダ人も、L系統である。メソポタミアで、9000年前までに農耕を始めたシュメール人もドラヴィダ系である。明の大航海者鄭和はL系統である。
L系統は、日本人にはない。〔A⇨CT⇨CF⇨F⇨K⇨K1⇨L〕

13.MS(第五世代)➡K2(K2b)の子孫で、3万年前に、東南アジアで発生した。K2b1とも言う。MS系統は、フィリピン・ルソン島の山岳先住民アエタ族に60%、インドネシアのアロール島に26%見られる。パプアニューギニアポリネシアメラネシアでも見られる。
MS系統は、日本人にはない。〔A⇨CT⇨CF⇨F⇨K⇨K2⇨MS〕
なお、パプアニューギニア西部のコロワイ族の40%はM系統、パプアニューギニアの高地人の53%はS系統である。

14.N(第六世代)➡3.5万年前にK2(K2a)から派生したNOが、3万年前に北東アジアでNとOに分離し発生した。このうちNは、その後、北上してシベリアを横断し、北欧にまで広がった。北極圏で観察頻度が高い。
極東の東シベリアに住みトナカイを飼育するヤクート人に88%、フィン人に61%、サーミ人ラップ人)に47%、エストニア人に41%、ラトビア人・リトアニア人に40%、ロシア人に20%存在する。ノヴゴロド国の首長リューリクやロシア人のガガーリンはN1cである。
日本人には0.8%しか存在しない。ただし、世界的に見ても珍しいことだが、NとOに分化する前のNOが、徳島で5.7%、福岡で3.8%存在する。
Nは、クロマニヨン人Y染色体に確認されている。6000~4000年前に黄河中流域で栄えた仰韶文化でも発見されている。匈奴フン族・古代ハンガリー人支配層でも観察される。〔A⇨CT⇨CF⇨F⇨K⇨K2⇨NO⇨N〕

15.O(第六世代)➡3.5万年前にK2(K2a)から派生したNOが、3万年前に北東アジアでNとOに分離し発生した。このうちOは、徐々に南下しつつ、その後、2.5万年前に、O1とO2に分離した。
やがてO1は、南下して、長江流域から台湾、東南アジア、日本列島、朝鮮半島へと広がった。このうちO1aは、南太平洋に向かい、台湾先住民に90%、フィリピンで40%、インドネシアで20%存在するが、日本にはほとんど見られない。蔣介石はO1aである。
一方で、O1bは、長江文明の担い手だったと考えられている。そのうち、およそ2800年前に、長江流域から南下したO1b1は、現在、インドネシアスマトラ島北西に位置するニコバル諸島で100%、バリ島で60%、バングラデシュで53%、タイで42%存在する。古代中国の曹操朱子はO1b1である。
さらに、O1b1と2万年前に分派し、2800年前に、長江流域から北上したO1b2は、現在、朝鮮に40%、満州・日本に30%存在する。その中でも、特に、日本に多いのは、日本固有のO1b2a1a(25%)で、BC8世紀以降、日本に入ってきたO1b2から分派したものと考えられている。沖縄で割合が低く(11%)、アイヌには存在しない。このO1b2a1aは、弥生遺伝子と呼ばれる。奥州藤原氏藤原清衡はO1b2a1aである。
また、O2は、ミャンマーで86%、漢民族で65%、朝鮮族で50%、満州ベトナムで40%、チベットインドネシアで35%、タイ・マレーシアで30%、日本では17%存在する。このO2は、漢民族の主要なY染色体ハプログループである。古代中国の項羽と劉邦はO2である。また、朝鮮の李成桂李舜臣金玉均もO2である。日本では茂木健一郎がO2である。
O系統は、現在、朝鮮民族の80%、中国人の70%、日本人の50%を占める。東アジア・東南アジアで最大のハプログループである。〔A⇨CT⇨CF⇨F⇨K⇨K2⇨NO⇨O〕

16.P(第五世代)➡K2(K2b)の子孫で、3.5万年前に中央アジアで発生した。K2b2とも言う。Q・Rの祖型。フィリピン・ルソン島の山岳先住民アエタ族に28%、ティモール島に10%存在する。南アジアにも少数現存する。〔A⇨CT⇨CF⇨F⇨K⇨K2⇨P〕

17.Q(第六世代)➡3.5万年前に、中央アジアでK2からPが派生し、Pからは、QとRが、さらに派生した。このQは、2.5万年前に中央アジアで発生した。
現在、アフガニスタンで16%見られる。さらに、アメリカ先住民のうち、南米のインディオで91%、北米インディアンで77%存在する。つまり、Qは、ネイティブ・アメリカンの主要なY染色体ハプログループである。アパッチ族の戦士ジェロニモはQ1aである。また、ユダヤ系の物理学者オッペンハイマーはQ1bである。
Qは、シベリア中央のエニセイ川流域に住む少数部族ケット人でも90%以上(1400人)を占める。日本では0.4%しかいない。〔A⇨CT⇨CF⇨F⇨K⇨K2⇨P⇨Q〕

18.R(第六世代)➡3.5万年前に、中央アジアでK2からPが派生し、Pからは、さらにQとRが派生した。このRは、2.5万年前に、中央アジアで発生した。
その後、1.8万年前に派生したR1aは、現在、中央アジアコーカソイドキルギス人に、64%の高頻度で見られる。また、このR1aは、歴史上、インド・ヨーロッパ語族アーリア人)を形成した。現在は、東欧のスラブ人に多く、ロシア人に60%、ポーランド人に55%存在する。さらに、アーリア系の多いインド北部でも、50%の高頻度で存在する。シャカはR1aである。
一方で、同じく1.8万年前に分派したR1bは、もともとはオリエントの農耕民だったが、欧州に農耕を伝え、後にゲルマン人に特徴的な遺伝子となる。現在、このハプログループは、ゲルマン系のほとんどの人が属するため、R1bは、俗に〝白人遺伝子〟とも呼ばれる。欧州では少数民族であるバスク人ケルト人にも80%以上存在する。ポーランド人のコペルニクスも、フランス人のルイ16世も、イギリス人のダーウィンも、アメリカ人のワシントンもリンカーンもR1bである。
さらに、古代エジプト(3000年前)のツタンカーメンはR1bである。ただし、現在のエジプト人には、R1bは、ほとんど存在しない。R1bは、赤毛遺伝子を持つが、同時に金髪碧眼の遺伝子でもある。
これらR系統は、日本人にはない。〔A⇨CT⇨CF⇨F⇨K⇨K2⇨P⇨R〕

19.T(第五世代)➡K1の子孫で3万年前に西アジアで発生した。アフリカ北東部の「アフリカの角」に広がる。T系統は、ソマリ人(ソマリアジブチエチオピア北東部)に82%、フラニ族(西アフリカのサヘル地帯)に18%、ギリシャ南東部に33%、シチリア島に18%、アルメニア人に12%、古代メソポタミアで活躍したアッシリア人に10%存在する。第三代アメリカ大統領トマス・ジェファーソンのハプログループはTである。
T系統は、日本人にはない。〔A⇨CT⇨CF⇨F⇨K⇨K1⇨T〕
〈東アジア各国のY染色体ハプログループ〉

日本人⇨縄文系48%[D1b:40%/C1a1:2.3%/C2:6%]~縄文度48%
⇨弥生系51%[O1b:33%(O1b2a1a:25%)/O2:17%/N:0.8%]
*別資料では
日本人⇨縄文系45%[D1b:35%/C1a1:4.5%/C2:5.5%]~縄文度45%
⇨弥生系54%[O1a:1.3%/O1b:32%(O1b2a1a:21.5%)/O2:19.3%/N:1.3%]

☆中国雲南省などに住む少数部族ヤオ族(300万人)の一部族
C⇨20%/D⇨30%/O1b1⇨40%/O2⇨10%~縄文近似度80%、日本人近似度83%(珍しい!)

アイヌ⇨縄文系100%[D1b:88%/C1a1:0%/C2:12%]~縄文度100%
⇨弥生系0%[O1b:0%(O1b2a1a:0%)/O2:0%/N:0%]~日本人度46%
沖縄人⇨縄文系61%[D1b:55%/C1a1:6%/C2:0%]~縄文度61%
⇨弥生系37%[O1b:22%(O1b2a1a:11%)/O2:15%/N:0%]~日本人度76%
*別資料では
沖縄県⇨縄文系53%[D1b:45%/C1a1:6.8%/C2:1.5%]~縄文度53%
⇨弥生系44%[O1b:24.1%(O1b2a1a:17.3%)/O2:18.8%/N:0%]~日本人度83%

朝鮮人⇨縄文系17%[D1b:4%/C1a1:0%/C2:13%]~縄文度16%
⇨弥生系83%[O1b:40%(O1b2a1a:4%)/O2:40%/N:2.6%]~日本人度40%
*別資料では
朝鮮人⇨縄文系14%[D1b:1.6%/C1a1:0.2%/C2:12.3%]~縄文度13%
⇨弥生系81%[O1b:32%(O1b2a1a:9%)/O2:44.3%/N:4.5%]~日本人度40%

満州人⇨縄文系27%[D1b:0%/C1a1:0%/C2:27%]~縄文度12%
⇨弥生系55%[O1b:10%(O1b2a1a:0%)/O2:39%/N:6%]~日本人度32%
⇨その他13%[R:7.7%/O1a:5.7%]

モンゴル人⇨縄文系52%[D1b:0%/C1a1:0%/C2:52%]~縄文度12%
⇨弥生系32%[O1b:1.3%(O1b2a1a:0%)/O2:23%/N:8%]~日本人度25%
⇨その他9.3%[R:4%/Q:2.7%/D1a:2.6%]

中国人
☆北方⇨縄文系2.5%[D1b:0%/C1a1:0%/C2:5%]~縄文度5%
⇨弥生系83%[O1b:7%(O1b2a1a:0%)/O2:66%/N:10%]~日本人度30%
⇨その他5%[Q:5%]
☆南方⇨縄文系2.5%[D1b:0%/C1a1:0%/C2:5%]~縄文度5%
⇨弥生系78%[O1b:30%(O1b2a1a:0%)/O2:33%/N:15%]~日本人度31%
⇨その他15%[O1a:15%]

台湾先住民⇨縄文系2%[D1b:0%/C1a1:0%/C2:2%]~縄文度2%
⇨弥生系4.8%[O1b:2.2%(O1b2a1a:0%)/O2:6%/N:0%]~日本人度10%
⇨その他90%[O1a:90%]

チベット人⇨縄文系2%[D1b:0%/C1a1:0%/C2:2%]~縄文度2%
⇨弥生系36%[O1b:0%(O1b2a1a:0%)/O2:33%/N:3%]~日本人度20%
⇨その他51%[D1a47%/D4%]~縄文近似値53%

フィリピン人⇨縄文系0%[D1b:0%/C1a1:0%/C2:0%]~縄文度0%
⇨弥生系19%[O1b:3%(O1b2a1a:0%)/O2:15%/N:1%]~日本人度19%
⇨その他51.5%[O1a:42.5%/NO:5%/R:4%]

タイ人⇨縄文系0%[D1b:0%/C1a1:0%/C2:0%]~縄文度0%
⇨弥生系72%[O1b:43%(O1b2a1a:0%)/O2:29%/N:0%]~日本人度25%
⇨その他6%[O1a:5%/R:1%]

ベトナム人⇨縄文系4%[D1b:0%/C1a1:0%/C2:4%]~縄文度4%
⇨弥生系75%[O1b:32%(O1b2a1a:1%)/O2:40%/N:3%]~日本人度26%
⇨その他14%[O1a:6%/Q:7%/R:1%]

インドネシア人⇨縄文系0%[D1b:0%/C1a1:0%/C2:0%]~縄文度0%
⇨弥生系64%[O1b:28%(O1b2a1a:8%)/O2:36%/N:0%]~日本人度25%
⇨その他24%[O1a:20%/R:4%]
〈日本人のY染色体ハプログループの歴史~推定〉

4.5万年前?⇨C1a1
(移動型採集狩猟民・後期旧石器時代人/最古層日本人/2.3~4.5%)
出アフリカ後、西アジアから東進して日本列島へ到達する。港川人。

3.5万年前⇨D1b
(定住型採集狩猟民/後期旧石器時代人⇨縄文人の主流/35~40%)
チベットから東進し、ナイフ型石器文化を伴って、華北から北方経由で移動して日本に定住をはじめる。

2万年前⇨C2
(モンゴル系北方遊牧民/後期旧石器時代人/5.5~6%)
北東アジアで発生し、バイカル湖畔から細石刃文化を伴って、シベリア経由で北方から日本列島に流入する。

3000年前⇨O1b2
(長江流域の農耕民/初期弥生人/32~33%)
長江流域から北進して、その後、山東あたりから、日本列島に比較的少数が流入し、緩やかに平和的に融合しつつ、共生がすすむ。縄文社会に稲作技術をもたらす。

2200年前⇨O2
漢民族/後期弥生人/17~19.3%)
主に華北から朝鮮半島経由で、北九州・山陰に侵入し、各地に奴国など武装国家を建国して、互いに闘争をはじめる。

1800年
AD3世紀初め、D1bを中心にC1a1・C2・O1b2・O2の連合した土着の縄文系中心の近畿王朝「大和国家(邪馬台国)」が成立し、O2系漢民族による征服王朝である山陰の出雲王朝を倒す。日本列島の縄文系支配の確立。

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