細胞の核外にあるミトコンドリアDNA(母系遺伝)とY染色体(父系遺伝)のDNA解析
遺伝情報(卵と精子に入っている23本の染色体)を「ヒトゲノム」
ヒトゲノムはアルファベット4文字(A、C、G、T)32億個で表現
ヒトゲノムの100万か所が調べられるようになり、ヒトの起源や進化についての理解
700万年ほど前に猿人が出現したあと、300万年前にホモ・エレクトス(原人)、50万年前にアフリカで旧人、同じアフリカで20万年前にホモ・サピエンス(新人)が出現、6万~8万年前にこの新人がアフリカを出て(「出アフリカ」)、世界各地に広がっていった。
「日本」という名称は7世紀の大和朝廷以降
「日本」「日本人」という概念自体がないからだ。著者は、古くから日本列島に住んでいた人々を、作家の島尾敏雄が提唱したヤポネシアから
福島県三貫地(さんがんじ)貝塚から出土した百数十体の人骨のゲノムDNAを解析すると、縄文人は東ユーラシアの北方集団(モンゴル人、北方中国人など)や南方集団(ベトナム人、南方中国人など)ともかけ離れた集団であることがわかった。
DNA解析によるとアイヌ人、オキナワ人、ヤマト人の順に縄文人のゲノムを受け継ぐ割合が高いそうだ。また東アジアの人類集団の関係を系統樹で示すと、ヤマト人と韓国人の位置は近く、北京と上海の漢民族の遺伝的違いはヤマト人と韓国人の遺伝的違いの3倍強になるという。
縄文人、弥生人とは異なる第三の集団を想定し、「ヤポネシアへの三段階渡来モデル」を提唱する。
第一段階は4万年~4400年前で、ユーラシア各地から狩猟採集民が渡来した。東ユーラシアに現在住んでいる人々とはDNAの異なる人々である(縄文人)。
第二段階は4400年~3000年前で、朝鮮半島、遼東半島、山東半島に囲まれた海岸部から来た「海の民」とする(第三の集団)。
第三段階前半は3000年~1700年前で、朝鮮半島経由で渡来した稲作農耕民(弥生人)、後半は1700年前~現在(古墳時代以降)で、朝鮮半島を中心にユーラシア各地から渡来した民である。著者は古墳時代以降も大陸からの渡来は現在まで途切れることなく続いているとみる。
と呼ぶ。
ヤポネシアは樺太島、千島列島、北海道の「北部」、本州、四国、九州の「中央部」、奄美大島から与那国島までの「南部」からなり、ヤマト人、アイヌ人、オキナワ人が住んでいる。
ヒトがヤポネシアに来たのはいつだろうか。現在発掘されているいちばん古い人骨は沖縄本島那覇出土の約3万2000年前のもので、石器は約4万年前のものが列島各地で出土している。
4万年~1万6000年前を日本の旧石器時代、
1万6000年~3000年前を縄文時代、
3000年前~紀元200年ごろを弥生時代と呼んでいる。
旧石器時代に東南アジアに住んでいた人々の子孫が移住してきてこの列島に住みつき縄文人を形成(土着縄文系)、弥生時代には北東アジアに住んでいた人々の一系統が渡来、水田稲作農業を導入し北部九州から列島中央部に移住、縄文人の子孫との混血を重ね、現在の日本列島に居住する多数派(ヤマト人)を形成した(渡来弥生人系)。