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つれづれなるままに日暮らし

水堂古墳

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水堂古墳 - 尼崎市公式ホームページ


www2.city.amagasaki.hyogo.jp › 学ぶ・あそぶ › 尼崎の文化財 › 史跡・文化財散歩
 
水堂古墳は、原形が著しく損なわれていますが、全長約60mと推定される古墳時代前期の前方後円墳です。昭和37年の発掘調査で、後円部から粘土槨に覆われた長さ約7m、幅約1mの割竹形木棺が見つかりました。木棺の内側は朱が塗られ、鉄刀、短剣、鉄 ...

水堂古墳 - apedia


www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/index.php?key=水堂古墳
 
2015/09/06 - 水堂町1丁目の須佐男神社境内にある前方後円墳弥生時代中期・後期の集落跡を破壊して幅20mの周濠を掘り、封土は濠の排出土を積み上げてつき固めた盛り土(盤築構造)らしい。南面する前方後円墳で、全長約60mと推定されるが、 ...
 

水堂古墳出土品


www2.city.amagasaki.hyogo.jp › 学ぶ・あそぶ › 尼崎の文化財 › 尼崎の指定文化財
 
水堂古墳は、尼崎市水堂町1丁目(須佐男神社境内一帯)にある全長約60mの南面する前方後円墳と推定されています。昭和37年発掘調査が行われ、後円部の表土下1.4mのところから、粘土槨に包まれた主軸に並行する長さ約7m、幅1mの割竹形木棺が ...
 

 

Web版尼崎地域史事典"apedia" | デジタルアーカイブ | 尼崎市立地域研究 ...


www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/digital/apedia/
 
apediaは、『尼崎地域史事典』と尼崎市史年表をデジタル化し、公開するウェブサイトです。尼崎の歴史に関する語句について、正確な情報を手軽に得ることができます。 平成18年(2006)7月20日に仮公開ののち、平成19年(2007)4月2日正式に公開しました。
 

縄文海進

じょうもんかいしん
 
関東平野の台地の緑に、先史時代の貝塚で海生の貝類を含むものが多数分布することから、東木龍七はかつて関東平野の奥の台地の緑まで海におおわれていたと考え、地形的考察を加えて、先史時代の海岸線を引いた。
その後縄文時代の時代区分が進んで、貝塚の年代が詳しくわかるようになり、海水浸入の時代とその推移が考古学的に明らかになってきたので、この海進を縄文海進と呼ぶようになった。
尼崎から大阪平野にかけての縄文海進の推移は、前田保夫によって地質学的資料に基づいて明らかにされた。
すなわち大阪南港大橋の橋脚の基礎工事がケーソン工法によって掘削されたのを利用して、潜函内で沖積層の露頭を肉眼で観察し、貝化石や花粉化石・珪藻化石を検討し、また多数の放射性炭素の年代資料をそろえた結果、ほぼ尼崎粘土層梅田層が縄文海進時の海水面上昇に対応して堆積したものであることが明らかとなった。
その上昇は約8,000年前から始まり、7,000年前から6,000年前にかけて年平均1cmを越える速度で上昇し、5,000年前あたりから現況に近くなったとみられる。
その原因は世界的な氷河性海水面変動に求められ、最終氷期後の世界的海進と年代・規模ともに一致する。
 
  • 前田保夫『縄文の海と森』 1980 蒼樹書房
 

apedia:海岸線の変遷

海岸線の変遷(縄文時代奈良時代