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つれづれなるままに日暮らし

阿智王

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阿知使主 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/阿知使主
阿知使主(あちのおみ、3世紀 - 4世紀頃、または5世紀前半)は、応神天皇時代の漢人系渡来人で、東漢氏の祖と言われる。 阿智使主、阿知王、阿知吉師 ... 続日本紀延暦四年(785)六月の条によれば漢氏(東漢氏)の祖・阿智王は後漢霊帝の曾孫で、東方の国(日本)に聖人君子がいると聞いたので帯方郡から「七姓民」とともにやってきたと、 ...
‎渡来 · ‎親族 · ‎末裔 · ‎伝説

  • 日本書紀』応神20年(289年)九月条には、「倭漢直(やまとのあやのあたひ、東漢氏)の祖阿知使主、其の子都加使主(つかのおみ)、並びに己が党類(ともがら)十七県を率て、来帰り」と伝わる。

右衞士督從三位兼下総守坂上大忌寸苅田麻呂等上表言。臣等本是後漢靈帝之曾孫阿智王之後也。漢祚遷魏。阿智王因牛教。出行帶方。忽得寳帶瑞。其像似宮城。爰建國邑。育其人庶。後召父兄告曰。吾聞。東國有聖主。何不歸從乎。若久居此處。恐取覆滅。即携母弟迂興徳。及七姓民。歸化來朝。是則譽田天皇治天下之御世也。於是阿智王奏請曰。臣舊居在於帶方。人民男女皆有才藝。近者寓於百濟高麗之間。心懷猶豫未知去就。伏願天恩遣使追召之。乃勅遣臣八腹氏。分頭發遣。其人民男女。擧落隨使盡來。永爲公民。積年累代。以至于今。今在諸國漢人亦是其後也。臣苅田麻呂等。失先祖之王族。蒙下人之卑姓。望 。改忌寸蒙賜宿祢姓。伏願。天恩矜察。儻垂聖聽。所謂寒灰更煖。枯樹復榮也。臣苅田麻呂等。不勝至望之誠。輙奉表以聞。詔許之。坂上。内藏。平田。大藏。文。調。文部。谷。民。佐太。山口等忌寸十一姓十六人賜姓宿祢。 - 『続日本紀延暦四年六月条

寺社[編集]
於美阿志神社 - 奈良県高市郡明日香村檜前。阿知使主を祭神とする。
檜隈寺 - 東漢氏の氏寺。
阿智神社 (*,Web) - 岡山県倉敷市本町。社伝によれば、阿知使主一族は吉備国に技術を提供した[12]。
長野県下伊那郡阿智村にも同名の阿智神社があり、祭神は天表春命で信乃阿智祝部の祖とつたわる。

  • 四世紀以後、大和朝廷朝鮮半島と密接な関係を持つようになり、古事記によると応神天皇の御世に東漢氏(やまとのあやうじ)の祖先とされる阿知使主(あちのおみ)とその子、都加使主(つかのおみ)が十七県(あがた)の漢人(あやひと)を率いて帰化したと書かれており、その一部がこの地に住みつき、養蚕、絹織縫製(中国の呉より縫製女工、兄媛、弟媛、呉織、穴織の四人を連れて来る)、製鉄、機織、土木等の先進技術を伝えたとされる。

また古事記によると、履中天皇の御世に阿知使主族に功績があり、蔵の官(内蔵寮)に任命され領地を賜ったとあり、阿知の名前が残されたこの地がそれであったと推定される。
阿智神社はその阿知使主族の奉斎したものとされている。(和名妙に阿智の明神と記されている)

東漢氏 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/東漢氏
東漢氏(やまとのあやうじ)は、「東漢」を氏の名とする氏族。倭漢氏とも記述される。 目次. [非表示]. 1 渡来集団として; 2 漢氏と東漢氏西漢氏; 3 出自 ... また『続日本紀延暦四年(785)六月条によれば、阿智王は七姓(朱・李・多・皀郭・皀・段・高の七姓漢人)と共に渡来した。 また、『古事記応神天皇の件に、「秦造の祖、漢直の祖、が渡来してきた」 ...

坂上系図』、『新撰姓氏録』などでは、阿智王(阿知使主)は後漢霊帝の ...
crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000031452
坂上系図』、『新撰姓氏録』などでは、阿智王(阿知使主)は後漢霊帝の曾孫となっているが、霊帝から阿智王までの系図がわかる中国での文献資料は存在しますか。 典拠:「坂上系図」(『続群書類従』巻185)、『国史大事典 1』(吉川弘文館). 回答 (Answer).

阿知使主(あちのおみ)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/阿知使主-25904
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 阿知使主の用語解説 - 機織を伝えた古代の帰化人。阿智王とも書く。古代の最も有力な帰化人の一族,東漢氏 (やまとのあやのうじ) の祖 (→東漢直 ) 。『日本書紀』によれば,応神天皇 20年,子の都加使主 (つかのお ...

426 阿智王の正体 - 小春奈日和 - Gooブログ
blog.goo.ne.jp/sadalon/e/4215b8693d76376f9cc43a08629ad58d
2015/09/08 - 大国主の誕生426 ―阿智王の正体― また、その『日本書紀』では、武烈天王四年の条のところで、この年に嶋王が武寧王と して即位したことを伝えていますが、その記事では続いて、「百済新撰(註:『三国史記』 「百済本紀」のことと考えられ ...

阿知使主の謎(古代史の復元)
www.geocities.jp/mb1527/N3-25-1ati.html
二月勅命を奉じて部下百二十六人を連れ、まず高麗の国へ至り、これより先、呉への道、不明なるため高麗王に案内者の人選を .... 坂上系図』 漢高祖皇帝―石秋王―康王―阿智王『坂上系図別本』 霊帝献帝延王―考徳王―石秋王―阿智王古代氏族系譜 ...

観音寺、四国、そして、日本: 阿智王(阿智使主)
kanonji.blogspot.com/2016/07/blog-post_83.html
2016/07/18 - 阿智王(阿智使主)、興味深い古人の一人である。佐伯有清著「新撰姓氏録の研究・考證篇」では、以下の頁に、その詳細が記されている。 合掌。 新撰姓氏録の研究・考證篇第四 397-401頁 新撰姓氏録の研究・考證篇第五 114-117 ...

帰化人 漢氏と文氏
www.eonet.ne.jp/~temb/5/kika_2.htm
阿智王(漢氏)に率いられて渡来したとされる七姓の氏族のうち、第一位の「段」姓は高向村主、高向史、高向調使、評首、民使主首等の祖とされていますが、調使、民使という姓は使者となって中国へ派遣されたことから与えられたものと推定できます。調は布地 ...

日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 坂上氏【1】
www.myj7000.jp-biz.net/clan/03/03004.htm
後漢霊帝の後裔と言われ、応神天皇の時代に日本に帰化した阿智王(阿智使主)を祖とする。 また阿智王とともに随従七姓を始めとする漢人帰化したと伝える。 志努が坂上直姓を賜り、延暦4年苅田麿が宿禰姓を賜り、子の田村麻呂は征夷大将軍となる。

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