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つれづれなるままに日暮らし

山崎橋

かつて山城国山崎–橋本間(現在の京都府乙訓郡大山崎町八幡市橋本間)で淀川に架かっていた橋

行基が神亀2年(725年)に架けたと伝えられる。 行基年譜

たびたびの洪水で流され、嘉祥3年(850年)にも架橋の記録はあるものの、11世紀にはいったん廃絶。豊臣政権下で一時復活された。その後失われてからは現在に至るまで再建されていない。

橋が失われた後は1962年まで渡船が運行されていた。

八幡市側に橋本の地名が残る

約2km上流に京都府道・大阪府道13号京都守口線の御幸橋がある。

大山崎側の付近の小川に「新山崎橋」が架かっており、これはバス停の名前にもなっている。

京滋バイパスのルート選定に当たっては「山崎橋の復活は町の悲願」として誘致活動が行われた。

橋本側の久修園院(くしゅうおんいん)と山崎側の山崎院はともに行基四十九院の一つであるが、山崎橋の維持管理をする役目も持っていたらしい。

淀川三川合流 物語 (* , Web)

山陽道については、927年に編纂された『延喜式』には、山城国の山崎駅

道(みち)としての山陽道

「やましろ」は、古くは「山代」と記され、7世紀に「山背国」

山城国山崎駅を転用した河陽離宮'山城国府

歴史街道 (*) 山城国府(河陽国府)

山崎橋*|街道*