米国はオランダ政府とASML社に圧力 バイデン政権はトランプ前大統領の政策を継続
オランダの半導体製造装置大手ASMLでEUVリソグラフィー・システムと呼ばれる露光装置を製造する従業員
ハイテク業界で最も重要な装置の一つは、オランダのトウモロコシ畑の隣で作られている。米政府はそれが絶対に中国に行き着くことがないよう、努力を怠っていない。
中国政府は、オランダの半導体製造装置大手ASMLホールディングの主力製品である極端紫外線(EUV)リソグラフィー・システムと呼ばれる露光装置について、中国企業による購入を認めるようオランダ政府に圧力をかけている。同システムは先進的な半導体の製造に不可欠な装置だ。
この重さ180トンにも及ぶ唯一無二の装置は、米インテルや韓国サムスン電子のほか、アップルの主要サプライヤーである台湾積体電路製造(TSMC)などの企業に使われている。最先端のスマートフォン、第5世代(5G)向けの通信機器から人工知能(AI)用のコンピューターに至るまでのあらゆるものに使われるチップを製造するためだ。
中国は国内の半導体メーカーのためにこの1億5000万ドル(約165億円)の装置を購入し、同国スマホ大手の華為技術(ファーウェイ)やその他のハイテク企業が海外からの供給に依存する度合いを軽減したいと考えている。しかし、ASMLはこれまで1台も送ってきていない。米国からの圧力を受けたオランダが、中国への輸出許可を出さずにいるからだ。
バイデン政権は安全保障上の懸念から、オランダ政府に対して輸出制限を要請していると、米政府当局者は話す。この姿勢はトランプ政権時代のホワイトハウスから受け継いだ。当時のホワイトハウスが同装置の戦略的価値に気付き、オランダ政府当局者に接触した。
米政府はファーウェイなどの中国企業に直接狙いを定め、スパイの懸念があるとして、ファーウェイ製機器の使用を制限するよう同盟国の説得を試みてきた。ファーウェイ側はこうした懸念には根拠がないとしている。ASMLとオランダが直面する圧力はこれと異なるものであり、広範に及ぶ米中ハイテク冷戦の付帯的損害の一つとなっている。
ASMLのペーター・ウェニンク最高経営責任者(CEO)は、この輸出制限が裏目に出る可能性があると指摘する。
ウェニンク氏は声明で、「目標を絞った具体的な国家安全保障上の問題では、輸出規制は効果的な手段となる」と指摘する一方で、「半導体の主導権をめぐる広範な国家安全保障戦略の一環としてこの手段が乱用された場合、政府はこの手段が中期的に研究・開発(R&D)を縮小させ、イノベーションのペースを鈍化させる可能性がどの程度になるかを十分考慮すべきだ」と述べた。同氏はまた短中期的な影響として、輸出規制適用の広がりは「世界的な半導体生産能力の規模を縮小させ、サプライチェーン(供給網)問題を悪化させる恐れがある」との見方を示した。
米政府による働き掛けは中国とオランダの関係を緊迫化した。事情に詳しい関係者によると、中国当局はオランダ当局に対し、中国向け製品積み出しをASMLに認可しない理由について定期的に照会している。駐オランダ中国大使(当時)は昨年、オランダ紙への寄稿で、中国向け先端機器の輸出をASMLに認可しなければ、貿易関係が損なわれる恐れがあると指摘した。
バイデン氏の大統領就任から1カ月もたたない段階で、ジェイク・サリバン大統領補佐官(国家安全保障担当)は、新政権が米国とオランダ間の「先端技術の緊密な協力」と呼ぶ問題について、オランダ側担当者と協議を行った。米当局者によれば、サリバン氏の最優先項目は、ASMLと中国のビジネスを継続的に制限することだった。
米政府による圧力はトランプ前政権の下で始まった。当時のチャールズ・カッパーマン大統領次席補佐官(国家安全保障担当)は2019年にオランダの外交官をホワイトハウスに招いた。同氏は、「良好な同盟国はこの種の設備を中国に売却することはない」と語ったことを振り返った。同氏はまた、ASMLの機械は米国の部品なしに稼働せず、ホワイトハウスはこうした部品のオランダ向け輸出を規制する権限を持っていると指摘したことを明らかにした。
事情に詳しい関係者によると、バイデン氏の下でのホワイトハウス内では現在、そうした措置は検討されていない。事情に詳しい人物らは、米政府が輸出規制を共同で機能させるため、同盟諸国を取りまとめるよう努めていると指摘した。輸出規制はまた、ASML以外にも影響が広がり、既に世界中で支障を来している半導体供給ラインをさらに混乱させる可能性がある。
ASMLは1990年代にオランダのコングロマリット、フィリップスから分離独立した。ベルギー国境に近いオランダ南部の田園都市フェルトホーフェンに本部を置く。感光面にプリントするために光を利用するフォトリソグラフィー技術に特化した企業だ。
フォトリソグラフィーは、シリコンウエハー上に光で細かい線のパターンを描くもので、半導体メーカーにとって重要な技術。描いた線に沿って、ナイフで木版を削るように表面を削り取るが、実際には薬品で除去する。残ったシリコン片がトランジスタになる。
シリコン上のトランジスタの数が多ければ多いほど、チップの性能は高くなる。シリコン上に多くのトランジスタを詰め込むためには、描く線を細くするのが一番の近道となるが、ASMLはこれを得意としている。ASMLの露光装置は、世界で最も細い線をプリントすることができる。
この装置は、輸送にボーイング747を3機も必要とする大きさで、レーザーとミラーを使って5ナノメートル(nm、ナノは10億分の1)幅の線を描く。数年後には、この線は1nm未満まで細くなると見込まれている。ちなみに人間の髪の毛の太さは7万5000nmだ。
キヤノンやニコンなどの競合他社は、前の世代の半導体製造装置しか作っていない。インテル、サムスン、TSMCは2012年に、この技術がコンピューターの性能向上に重要な役割を果たすと認識し、オランダに本社を置くASMLに資本参加している。
ASMLは最新鋭の露光装置を今年は42台、来年は55台製造する予定だ。2020年のASML全体の売り上げに占める中国向けの比率は17%に達しているが、これは旧世代の装置だ。アナリストによると、ASML製の最新鋭機を入手できなければ、中国の半導体メーカーは国産露光装置の技術が追いつくまで、最先端の半導体を製造することができない。
ASMLのウェニンク最高経営責任者(CEO)はアナリストに対し、各国からの需要が非常に強く、中国への輸出規制は業績に影響を与えていないと語っている。2020年の売上高は約165億ドルで、純利益は約41億ドル。ASMLの株価は過去5年間で7倍に上昇している。
中国がASMLの技術に追いつくには少なくとも10年はかかるという推計を受け、トランプ前政権はオランダ政府に輸出禁止の圧力を掛け始めた。トランプ政権時代に任命された商務省のナザック・ニカター次官補は、オランダの当局者に「これはわれわれ相互の国家安全保障上の利益となる」と話したという。