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つれづれなるままに日暮らし

東海道 五十七次

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日本の旬を行く!路線バスの旅

日本の旬を行く!路線バスの旅SP「秀吉が夢見た紅葉と幻の東海道五十七次めぐり」

東海道は「五十三次」ではなく「五十七次」だった!?知られざる五十七次の謎を解きながら紅葉の京都・大阪を巡る▽豊臣秀吉が夢見た紅葉絶景に感激!秋の味覚も堪能!

日本全国の「旬=ベストシーズン」を、のんびり、ゆったり、バスで旅していく。そこには景色・味・人との一期一会の素敵な出会いが! 2時間半スペシャルの今回は、路線バスで巡る歴史ミステリーの旅!街道「東海道五十三次」は、実は「五十七次」だった!?タレントの敦士が、知られざる「東海道五十七次」の謎を解きながら、京都、そして大阪へ。紅葉の絶景や、初冬の旬の味覚・風物詩を満喫しながら、路線バスで旅する。

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東海道 五十四次 伏見宿 

東海道 五十五次 淀宿 

東海道 五十六次  枚方宿 

枚方 鍵屋 

東海道 五十七次 守山宿 

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京街道東海道57次)
    京街道とは、大坂から京都へ向かう街道の総称であるが、今回取上げる街道は大津宿の先、髭茶屋から伏見、枚方などを経て大阪市内、高麗橋までの道をいう。徳川家康は大名が京都で公家と接触するのを禁止したため、大名行列は髭茶屋で京へ向う東海道と分れ、京を通らずに大坂へ向うことになった。
 
この間は東海道の延長として道中奉行の管轄下に置かれ、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の4つの宿場が設けられた。このため4宿を足して東海道57次」と呼ばれることもある。元々文禄3年(1594年)に伏見城築造に着手した豊臣秀吉が淀川左岸に築いた「文禄堤」が起源である。ここを追分から高麗橋へ向って、2010年1月30日、31日と2日かけて歩いた。   全長約56km。 
    参考書 
1「京街道 東海道57次~54次を歩く」(向陽書房)
2「街道マップ(京街道)」大阪府都市整備部交通道路部道路整備課 交通計画グループ)
3「旧街道-京街道http://mail2.nara-edu.ac.jp/~asait/map/kyou_kaido/kyou_kaido.html

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2 伏見宿~淀宿 

3 淀宿~枚方宿 

4 枚方宿~守口宿 

5 守山宿~高麗橋 

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