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つれづれなるままに日暮らし

渤海使(ぼっかいし) 728年から811年までの間に14回(うち1回は渤海経由の遣唐使。このほか操舵手等の派遣が1回。)の使節

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渤海使ぼっかいし)は、渤海より日本を訪問した使節である。728年から922年までの間に34回(このほか東丹国契丹、遼)による派遣1度)の使節が ... 帰国直前に藤原八束(真楯)が餞別の宴を開催。2月の帰国時に迎入唐使(遣唐使参照)大使高元度・判官内蔵全成ら99名が同行。 続紀. 5, 759年, 宝字3年 ... ただし渤海使節は出羽から越前に茶苦闘するのが常であり、大宰府経由で来たことはない。 続紀. 9, 776年 .... 21, 823年, 弘仁14年, 建興5年, 高貞泰, 嵯峨, 大仁秀, 11月、加賀に来着。大雪により京と加賀 ... 
 
727年 神亀4年 仁安5年 高仁義 聖武 大武芸 8月、大使・高仁義ら24名が蝦夷の地に漂着したが、蝦夷に襲撃され16名死亡。生き残った高斉徳ら8名が12月に都に到着し天皇と対面。渤海王大武芸からの親書と産物(皮300張など)を献上。729年6月、送使の引田虫麻呂と共に帰国。出発。虫麻呂は730年8月に帰国し、渤海からの進物を献上。

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第45代