-犠牲者数
アメリカ人犠牲者 3万3000人
11.6万人
6.6万人
200万人
アメリカ戦争史
リボーン
日本 | 清 | 備考 |
1万3800人 | 3万5000人 | 清軍の死亡者は不明な点も多い |
日本 | ロシア帝国 | 備考 |
11万5600人 | 4万2600人 |
◇第1次世界大戦:1914年7月~1918年11月:の死者
連合国側 | 死者数 | 備考 |
ロシア | 170万人 | |
フランス | 135万8000人 | |
イギリス | 90万8000人 | |
イタリア | 65万人 | |
アメリカ | 11万7000人 | |
ルーマニア | 33万6000人 | |
セルビア | 4万5000人 | |
ベルギー | 1万3800人 | |
ギリシャ | 5000人 | |
ポルトガル | 7200人 | |
モンテネグロ | 3000人 | |
日本 | 300人 | 動員兵力80万人人的損害の比率0.2% |
小計 | 約514万3000人 | |
同盟国側 | ||
ドイツ | 177万4000人 | |
オーストリア=ハンガリー | 120万人 | |
トルコ | 32万5000人 | |
ブルガリア | 8万8000人 | |
小計 | 約338万6000人 | |
合計 |
約852万9000人 |
枢軸国側 | 死者数 | 市民の死者数 | 計 |
日本 | 230万人 | 80万人 | 310万人 |
ドイツ | 422万人 | 267万人 | 689万人 |
オーストリア | 25万人 | 93万人(うちユダヤ系市民65万人) | 118万人 |
イタリア | 30万人 | 13万人 | 43万人 |
その他 | 163万人 | 163万人 | |
小計 | 約1205万人 | ||
連合国側 | |||
ソ連 | 1360万人 | 700万人 | 2060万人 |
中国 | 350万人 | 971万人 | 1321万人 |
ポーランド | 12万人 | 591万人(内ユダヤ系市民270万人) | 603万人 |
ユーゴスラビア | 50万人 | 121万人 | 171万人 |
フランス | 20万人 | 40万人 | 60万人 |
イギリス | 14万人 | 24万人 | 38万人 |
アメリカ | 29万人 | 29万人 | |
その他 | 78万人 | ||
小計 | 約4360万人 | ||
合計 | 約5565万人 | ||
アジア・太平洋各国 | ↑上記の国を除く | ||
朝鮮 | 20万人 | ||
台湾 | 3万人 | ||
フィリピン | 111万人 | ||
ベトナム | 200万人 | ホーチミンの主張では 1944 年末から 1945年にかけてベトナム北部で 200 万人が餓死 | |
ビルマ | 15万人 | ||
マレーシア・シンガポール | 10万人
|
||
インドネシア | 400万人 | ||
インド | 150万人 | ||
オーストラリア | 2万3000人 | ||
ニュージーランド | 1万2000人 | ||
合計 | 912万5000人 |
◇東西ドイツの分断
1945 年、第二次世界大戦に敗北したドイツはオーデル・ナイセ線以東の、東プロイセンやシュレジェン地域を完全に喪失した。これにより、戦前の領土の 25%を失うこととなった。さらにはアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦の四カ国に分割占領され(連合軍軍政期)、1949年、ボンを暫定的な首都とするドイツ連邦共和国(西ドイツ)とベルリンの東部地区(東ベルリン)を首都とするドイツ民主共和国(東ドイツ)に分裂した。
面積 | 人口 | 備考 | |
西ドイツ(ドイツ連邦共和国) | 248,717km² | 63,254,000人
(1990年) |
|
東ドイツ(ドイツ民主共和国) | 108,333km² | 16,111,000人
(1990年) |
|
統一ドイツ(ドイツ連邦共和国) | 357,121 km² | 8033万人
2011年 |
1945年以前
447,745 km² |
※1945年月17日から、ベルリン南西ポツダムにて、依然交戦中の日本の終戦と日本降伏後の処理を協議するポツダム会談が行われた。イギリスのウィンストン・チャーチル首相、4 月12日のルーズベルト大統領の急死に伴い、副大統領から昇格・就任したアメリカのハリー・S・トルーマン大統領、ソビエト連邦のヨシフ・スターリン首相が出席した。この会談で日本に対し降伏を勧告するポツダム宣言の発表と、ドイツの戦後分割統治が取り決められたポツダム協定の締結が行われた。降伏した枢軸国の将兵はシベリアなどに送還されて強制労働させられるとともに、新たに戦勝国の領土となった地域からは1200万人を超える
ドイツ人、ポーランド人、ユダヤ人が追放され、200万人以上が命を落とした。
◇朝鮮戦争:1950年6月~1953年7月:犠牲者
総数 | 軍 | 民間 | 備考 | |
韓国 | 約240万人 | 98万7000人 | 143万人 | |
朝鮮 | 約292万人 | 92万6000人 | 200万人 | |
南北合計 | 約532万人
(内死者 350 万人) |
当時の人口3500 万人のうち 6 人に 1 人が犠牲になった | ||
国連軍 | 約15万人 | 内14万人が米軍 | ||
中国 | 約90万人 | 18万3000人 | 72万人 |
【参戦国一覧】
*国連軍[22カ国]
アメリカ合衆国:兵力25万3300人、イギリス:兵力1万5700人、フランス共和国:兵力7400人、カナダ:兵力5400人、大韓民国:兵力98万人、
オランダ王国:兵力7200人、ベルギー王国:兵力5600人、
ルクセンブルク大公国:兵力400人、ギリシャ共和国:兵力1000人、オーストラリア:兵力900人、ニュージーランド:兵力800人、トルコ共和国:兵力4600人、タイ王国:兵力1100人、
フィリピン共和国:兵力1100人、コロンビア共和国:兵力1100人、南アフリカ共和国:兵力800人、エチオピア:兵力1200人、その他
*朝鮮民主主義人民共和国:兵力135万人、
ソビエト連邦(実戦参加は無いが、金日成に武器を援助している。また、ソ連軍パイロットが戦っていたという情報もある。)
◇南北朝鮮の分断
朝鮮戦争当時 | 現在 | 備考 | |
大韓民国 | 2500万人 | 5000万人 | |
朝鮮民主主義人民共和国 | 1000万人 | 2000万人 | |
戦前の朝鮮半島 | 1910年:1313万人
1942年:2553万人 |