「敗北!白村江の戦い なぜ巨大帝国に挑んだのか?」
古代史の大きな謎に迫る!九州で発見された巨大な土塁に磯田道史が興奮!作られた背景は、白村江の戦いか。なぜ倭国は巨大な唐を相手に無謀とも思える戦いを選択したのか?
磯田道史が興奮!今回は古代史の大きな謎に迫る。
▽九州で見つかった巨大な土塁は、太宰府をまもる“羅城(らじょう)”の一部なのか?羅城とは、外敵に備え、都市全体を取り囲んだ防御施設のこと。
- 前畑遺跡
▽作られた背景には、白村江の戦いがあると考えられる。なぜ時のリーダー中大兄皇子は、巨大帝国・唐に戦いを挑んだのか?無謀にも思える選択の裏には、どんな戦略や計算があったのか?そして、戦いがその後の日本に与えた影響とは?
唐 300年 中国は3000万人、日本は300万人
熱田津 愛媛
英雄たちの選択 (*)
第一次 660年 5000人の兵 朝鮮出兵
第二次 663年3月 2万7千人の兵 朝鮮出兵
きび、きぬえ、金城 韓国
第三次 663年8月 27日 1万人の兵 朝鮮出兵
白村江* 太宰府* 羅城(らじょう)* 碑*