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つれづれなるままに日暮らし

壬申の乱 672年

Google (*) 天武天皇元年6月24日 - 7月23日

英雄たちの選択「“日本”を生んだ戦い 新視点!壬申の乱

倭国」と呼ばれた国が「日本」に変わるきっかけとなった壬申の乱日本書紀では王位をめぐる争いとされているが、仔細にみると乱の背景に対外関係の難問が浮かび上がる。

乱がおきたのは古代史上最大の対外戦争・白村江の戦いの大敗北から9年後。天智天皇は唐と新羅の侵攻に備えて中央集権化を推し進めてきたが、やがて新羅が唐と対立、戦争が始まる。当初は半島情勢不介入を続けていたが、唐からの強い圧力の中で天智は息子の大友皇子に政権を任せ、唐寄りの考えを持つ百済の難民たちを抜てきする。豪族たちが反発する中、最有力後継者だった大海人皇子は天智から政権を受け継ぐよう求められるが…。

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壬申の乱関ケ原町歴史民俗資料館
www.rekimin-sekigahara.jp/main/jinsin_war/
壬申の乱は西暦672年に起きた古代史上最大の内乱であり、その内容は日本書紀巻二十八(壬申紀)の解釈によります。 ... 壬申の乱天智天皇死後の皇位を巡り、天智天皇の同母弟 大海人皇子(おおあまのおうじ)と息子 大友皇子(おおとものおうじ)(成人し ...

白村江の戦い - Wikipedia , 663年10月
https://ja.wikipedia.org/wiki/白村江の戦い
白村江の戦い(はくそんこうのたたかい、はくすきのえのたたかい)は、天智2年8月(663年10月)に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた、倭国百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争のことである。
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