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つれづれなるままに日暮らし

崇徳上皇

「英雄か怨霊か? 保元の乱の敗者・崇徳上皇の涙」

日本史上最大の怨霊といわれる崇徳上皇平安時代の終わり、崇徳上皇は、なぜ怨霊として恐れられることになったのか?その引き金となったのは、保元の乱だった。

1156年の保元の乱は、天皇家摂関家武家が、真っ二つに分裂し、骨肉の権力争いを繰り広げる大騒乱だった。その中で、崇徳上皇は、謀反の罪を着せられ、讃岐へ流されて非業の死をとげる。崇徳上皇の死後、京の都では、疫病や火災が相次ぎ、世情不安が高まった。最初は、とりあわなかった後白河上皇も次第に怨霊の恐怖におびえるようになった。日本史上、最大最強の怨霊といわれる崇徳上皇の怨霊伝説に迫る。

【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】夢枕獏,山田雄司,萱野稔人,【語り】松重豊

英雄たちの選択 (*)

後の約700年に渡る武家政権 (武家政権)

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