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つれづれなるままに日暮らし

総社市 

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総社市 Map

総社市岡山県中南部に位置し、東に岡山市、南に倉敷市と接しています。その位置関係から、県南部における中核都市として位置づけられています。市域北部、西部は山地や丘陵に囲まれ、南部には吉備平野が広がります。面積は約212平方キロメートルで、人口は約6万7千人です。当市は昭和40年代以降に輸送用機械器具製造業と食料品製造業を中心に発展し、現在も主要産業となっています。また岡山市倉敷市が近隣にあり、ベッドタウンとしての性格も持ち合わせています。商業施設は総社宮の鳥居前町に形成された商店街を中心に増加し、現在はJR総社駅東側の一帯を広域的な商業・営業拠点として定め、開発が行なわれています。交通は、JR伯備線吉備線井原鉄道井原線が通り、総社駅が結節点となっています。バスでは路線バスが7路線運行され、市域各所を結びます。道路では国道180、429、486号が走る他、北東部に岡山自動車道が通ります。

総社市からは宝福寺裏山遺跡や浅尾遺跡など旧石器時代から人々が生活していた形跡が見られます。

古墳時代には吉備の中心地だったことを示す宮山古墳などが出土しています。

飛鳥時代には備中の国府が置かれました。

鎌倉時代以降は水運を活かした門前・宿屋町となり農業も発展します。

戦国時代には織田信長の中国攻めで毛利側の砦が築かれました。

江戸時代には複数の藩領や幕府領に分割され、複雑な統治形態が行なわれます。

1875年(明治8年)5村が合併し総社村が発足。

1896年(明治29年)に総社町町制を施行します。

明治後期から昭和初期にかけて鉄道網の整備などが行なわれ、1954年(昭和29年)総社市市制を施行。

高度経済成長期は県南工業地帯の発展に伴い宅地開発が進められ、内陸工業も盛んになります。

2005年(平成7年)に現市域が完成。

現在は歴史に培われた吉備文化と豊かな自然環境を背景に、住宅都市・学園都市としての発展を見せています。

雪舟水墨画家)、満谷国四郎(洋画家)、大野昭和斎(木工芸家)、高木聖鶴(書家)、橋本龍太郎(政治家)

宝福寺、備中国分寺、総社宮、鬼城山、御崎神社、農マル園芸吉備路農園、さんとぴあ乃湯、観光柿園、穂里山、軽部神社、キリスト兄弟団 総社教会、日本基督教団 総社教会