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つれづれなるままに日暮らし

歴史秘話ヒストリア「聖徳太子の棺 伝説のその先へ」

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番組内容

お札の肖像画でおなじみの聖徳太子だが、あの絵は当時と明らかに違う髪型・服装で描かれている。太子伝説はなぜ生まれたのか?太子の最期に関する重要遺物がテレビ初公開!

詳細

お札に描かれた肖像画でおなじみの聖徳太子は、冠位十二階、憲法十七条などで有名。しかし今、その太子像が揺れている。例えばあの肖像画、太子の時代とは明らかに違う髪型・服装だった!太子は一体、どんな顔をしていたのか?世界遺産法隆寺のあの国宝の裏側にそのカギが!?太子の数々の偉業の実像に、考古学の視点から迫る。さらに、太子の死にまつわる超重要な遺物がテレビ初公開!太子伝説誕生の意外な真相とは!

エピソード1 聖徳太子 その真実の姿とは?

聖徳太子の実像に迫る手がかりか―?(国宝 法隆寺釈迦三尊像
世界遺産 法隆寺の本尊である国宝・釈迦三尊像。この像に彫られた196文字の銘文を検証したところ聖徳太子と同時代のものである可能性が高まりました。刻まれた「尺寸王身」という記述から、釈迦三尊像が太子本人に生き写しであった可能性も…聖徳太子の意外な実像に迫ります。

エピソード2 雪丸は見た! 太子の国際戦略
聖徳太子が活躍した時代の地層から、幅20mの道路や巨大なダムの痕跡が発掘されました!強勢の帝国・隋に日本を文明国として認めさせる施策に力を入れていたとみられる聖徳太子。その直筆と伝えられる巻物には意外な本音が―太子の愛犬・雪丸くんといっしょに偉大なる足跡をたどります。

遣隋使成功のカギは「ビジュアル」!?(ドラマパートより)

太子道 幅20mの道路

www.geocities.jp/watsns/taisi3.html
それぞれの太子道とも、明らかに乱れている個所がありますので、その個所を除いた直線部分と思われる個所を主に測定いたしました。 GPSの誤差を ... これを見ると道は直線から、かなり左右(東西)に振れていることが分かりますが、概ね±20m内に収まっています。 長い三宅道です ... 以前に多の古老から聞いたのだが、以前に太子道の延長線の田圃を発掘したとき、幅30m近くもある道路跡が見つかったということだ。また、橿原考古学研究所の方にお聞きすると別の場所では、22mの道幅だったそうだ。この部分だけ .

エピソード3 謎の棺が語る 聖徳太子 死の真相

断片を見る井上アナと考古学者・猪熊兼勝さん
かつて、聖徳太子の墓を実際に見た人がいます、それは弘法大師・空海空海が残したとされる絵図では、棺はなぜか3つ。さらに今回の取材で、太子の棺の断片とみられるものが、大阪・柏原市の寺でひそかに守られていたことが判明!そこからあきらかになったのは、聖徳太子の死の真相―。

聖徳太子の墓

叡福寺、聖徳太子磯長廟守護のお寺です。 - 土曜日は古寺を歩こう。
blog.goo.ne.jp/mrslim2/e/a4e16e927cf7718e36bdcfced1ec2d10
2016/07/18 - 聖徳太子磯長陵墓を守護するためのお寺として創建されたといいます。 ... [叡福寺]○山号磯長山(しながさん)○寺号叡福寺(えいふくじ)通称上の太子○宗派真言宗(しんごんしゅう)単立○開基伝聖武天皇(しょう ... 南大門から見た宝塔。

大阪府南河内郡太子町
 
参考文献
聖徳太子 ほんとうの姿を求めて』(東野治之 岩波ジュニア新書)
『考古学から見た推古朝』(大阪府立近つ飛鳥博物館 企画展図録)
聖徳太子磯長墓改葬説』(猪熊兼勝 坪井清足先生卒寿記念論文集 埋文行政と研究のはざまで)
『絹布を貼り重ねた漆棺の製作技術について』(岡田文男 漆工史第30号)

太子*