第10代 崇神天皇の勅祭と伝えられており、古くから、水のまもり神として信仰を集めてきました。 鎌倉時代に建造された社殿は国宝の指定を受けております。
- 記紀に伝えられる事績の史実性、先帝達と繋がる系譜記事等には疑問もあるものの、3世紀から4世紀初めにかけて実在した大王。初代神武天皇とそれに次ぐ欠史八代の天皇達の実在性が希薄であることから、この崇神天皇をヤマト王権の初の天皇と考える説が存在し、また記紀に記された事績の類似と諡号の共通性(後述)から、崇神を神武天皇と同一人物とする説もある。井上光貞は御名に後世的な作為が窺えず、欠史八代と違って旧辞も備わっていることから、崇神を実在の可能性のある最初の天皇としている
- 和風諡号は『紀』では御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらのみこと)。また、御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称えられる。『記』では御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえ)である。
- 井上は崇神に次ぐ系譜と15代応神天皇 (*) 以降の系譜との繋がりには懐疑的であり、直木孝次郎も同様の理由から応神以前に大和地方に存在した別王朝の首長と考えており[2]、このように後代の天皇達との連続性を疑う「王朝交替説」も存在する。
20年