altgolddesu’s blog

つれづれなるままに日暮らし

「戦災復興期の都市計画」 岡山会館

Google

岡山市

昭和20年6月29日、米軍機約40機はじゅうたん爆撃を繰り返し、2時間足らずの短時間に7.6平方キロの旧市内の73%が灰燼に帰した。全国被災都市147都市の中で8位にランクされる被害であったといわれている。

昭和47年に山陽新幹線の開業によりひかり都市として一躍脚光を浴びる。その後、

昭和63年瀬戸大橋開通、

昭和63年新岡山空港開港そして山陽自動車道の開通

岡山会館 都市計画

  • 岡山会館ビルも落成し、戦後復興の遅れた岡山駅玄関口の汚名返上ができたのである。 昭和37年

岡山会館ビルも落成し昭和36年(1961)]岡山会館落成(当時、西日本随一のマンモスビル)

総務省|一般戦災死没者の追悼|岡山市における戦災の状況 ...

岡山市百年史・上巻

『写真で見る岡山の戦災』

中国道の開通

    • 宝塚IC 供用開始日:1970年7月23日
      • 1974年6月4日:西宮北IC - 福崎IC間開通。 宝塚IC - 西宮北ICが開通
  • 1974年6月4日:西宮北IC - 福崎IC間開通。

宝塚IC - 西宮北ICが開通するまでは、名塩仮出入口が開設されており、同仮出入口 - 西宮北ICの区間は現在の下り線を使って対面通行供用していた。
(国土画像観覧システム昭和49年度版より)

  • 1975年10月16日:宝塚IC - 西宮北IC間開通。

この時新規供用されたのは、下り線の宝塚IC - 名塩仮出入口間と、上り線の西宮北IC - 川面長尾山仮出入口間。同区間の供用に伴い二つの仮出入口は閉鎖、また対面通行も解消され、中国池田IC - 西宮北ICが上下線共に3車線となった。
国土画像観覧システム昭和49年度版より)

中国道宝塚周辺渋滞の迂回

近代建築Watch

岡山*