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つれづれなるままに日暮らし

太田牛一 大永7年(1527年)- 慶長18年(1613年))

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あなたの知らない信長の素顔 〜英雄を記録した男 太田牛一の生涯〜

著作、『信長公記』 (*)

参考文献
信長公記』(太田牛一 角川文庫版・新人物往来社版など多数)
織田信長という歴史 「信長記」の彼方へ』(金子拓 勉誠出版
『「信長記」と信長・秀吉の時代』(金子拓編 勉誠出版
信長公記を読む』(堀新編 吉川弘文館
『人物業書 織田信長』(池上裕子 吉川弘文館

著作

信長公記』(「信長記」、「安土記」、「安土日記」)

『大かうさまくんきのうち』(「太田牛一雑記」)

関ヶ原合戦双紙』(「太田和泉守記」、「内府公軍記」)

『高麗陣日記』

関東軍記』

『別本御代々軍記』(「太田牛一旧記」)

『太閤御代度々御進発之記』

『豊国大明神臨時御祭礼記録』

『今度之公家草紙』(「猪熊物語」)慶長15年

「鉄ノ船」の真相 鉄甲船 (*)

池田 墓所 仏日寺大阪府池田市太田牛一公墓所は≫境内図

太田牛一と麻田藩|始めのはじめは一(ハジメ)なり

仏日寺は麻田藩青木家の菩提寺です。
第二代藩主青木重兼が松隣院という寺院を開いたが、後にそれを廃し、先代重直の墓地のある仏日寺を再建。
黄檗宗仏日寺を開き、青木家の菩提寺としたそうです。

麻田藩は一万石の外様大名で、実質上の初代藩主は青木一重(かつしげ)。
一重の父重直は美濃の出身で、初め土岐頼芸に仕えていました。
その後斎藤道三に仕え、斎藤氏が没落した後は織田信長に従い、その後豊臣秀吉に仕えました。

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