この両河がにはさまれた地域が、ギリシア時代から「川の間の地域」を意味するメソポタミアと言われるようになった。ただし、古代メソポタミア文明の時代には、現在より海岸線は内陸にあり、二つの川は別々に海に注いでいた。
ギリシャでは紀元前8世紀頃から、ギリシャ各地に、いくつもの独立した都市国家(ポリス)が出来た。なかでも、アテネという都市国家 と、 スパルタ という都市国家の、この2つの都市国家(ポリス)が、とても有力であった。
ギリシャでは商工業が発達して、平民や兵士の力が強くなった。
紀元前6世紀ごろには、イタリア半島でいくつかの都市国家ができていた。紀元前1世紀ごろに、都市国家の一つのローマは周辺の都市国家を征服し、ローマ帝国ができた。さらに、紀元前30年ごろにはローマ帝国が地中海を囲む、ヨーロッパ南部および中央部、西アジアの地中海沿岸部、アフリカの地中海沿岸分の一帯まで、支配を広げた。
ローマによるヨーロッパの支配は、今で言うフランス(当時はガリア)の地をほぼ全て支配し、今で言うスペイン(当時はイスパニア)の地まで、ほぼ全土を支配した。
ギリシャ文字のアルファベットをもとにした、ローマ独自の文字のラテン文字(ローマ字)を持っていた。 ローマには、奴隷がいた。
広い領土をおさめる必要性から、実用的な文化が発達した。 暦(こよみ)では、エジプトの太陽暦をもとに、ユリウス暦(ユリウスれき)を作った。道路を整備した。法律も整備された。水道も整備された。