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つれづれなるままに日暮らし

関西電力 原発に巣くう“閉鎖性” 2020年3月20日 10時18分

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関西電力の経営幹部らが原発がある福井県高浜町の元助役から3億円を超える金品を受け取っていたという前代未聞の不祥事。調査にあたった第三者委員会は関西電力の企業体質を「極端な内向き文化」と批判しました。調査で、もう1つ指摘されたのが金品受領と原子力事業との関係性です。電力会社の経営を支える原子力事業に問題の原因があったというのですが、それは何なのかに迫ります。(大阪放送局記者 谷川浩太朗)

原子力部門が病根
三者委員会 但木敬一 委員長
原子力事業本部が病根だった」「独立王国のようになっていた」第三者委員会の但木委員長は、最終報告書を公表した3月14日の記者会見の中で厳しいことばを使って、今回の問題の根底に原子力事業本部の体質が原因になっているという認識を示しました。報告書では、高浜町森山栄治元助役から金品を受け取っていた役員や社員は75人としていて、このうち6割が原子力関連の部署に所属していました。
原子力は“エリート集団”
大阪万博の様子
病根と指摘された関西電力原子力事業とはどんな部門なのでしょうか。それには歴史をひもとく必要があります。関西電力は1970年、大手電力会社としては初めて原子力発電所の運転を開始。当時、大阪万博の会場への送電に成功したことを高らかにうたっていました。その後も原発を次々と新設し、全国の電力会社のなかでも「原発トップランナー」と呼ばれていました。2002年には発電量の65%まで原発比率を高め、福島第一原子力発電所原発事故が起きるまで、ほかの電力会社よりも電気料金を低く抑え、関西経済に貢献していることを自慢していました。
高浜原発
原子力は技術の粋を集めたエネルギーですから、技術者を中心にそこで勤務する社員はエリート扱いされます。複雑かつ高度な知識が必要とされ、当局との調整も頻繁にあることから、おのずと人事交流が停滞していったのです。
本部の移転で独立王国に
ただでさえ、外からの声が届きにくい原子力事業本部。会社と森山氏との関係が一段と深まるきかっかけとなったのが2004年に起きた原発事故でした。福井県にある美浜原発で配管が破損。高温の蒸気が噴き出し、作業員5人が死亡しました。事故を受けてもともと大阪の本店にあった原子力事業本部が美浜町に移転。但木委員長が言うように「独立王国」になっていったのです。
原子力事業本部の閉鎖性
報告書では原子力事業本部の閉鎖性を指摘しています。その背景として▽技術的に特殊であるうえに▽政治問題・社会問題になりやすいという点▽原発の再稼働が経営に大きな影響を与える点をあげて「閉鎖的な村社会が形成され、正しい意見が実現しづらくなっていたことが見受けられる」としています。
会長が”先生”と呼ぶ人物とは
三者委員会の但木委員長が「病根」と表現した原子力事業本部。この部門のトップを長年務めたのが豊松秀己元副社長です。

豊松氏がいかに強大な権力を握っていったか。それを印象づけることばを聞いたことがあります。私が八木誠前会長に取材したときのことです。部下であるはずの原子力部門担当の豊松秀己元副社長のことを「豊松先生」と呼んでいたのです。なぜ経営の実質トップである会長が副社長を先生と呼ぶのか。この強烈な違和感はのちに豊松元副社長が元助役から1億円を超える金品を受け取っていたこと、さらに業績不振でカットされた役員報酬の一部が退任後にひそかに補填(ほてん)されていた事実を知って合点がいきました。豊松氏こそ、原発事業のトップにとどまらず、会社本体にも影響力を行使する存在、いわゆる「ドン」だったのではないでしょうか。

豊松元副社長は2011年の原発事故後、関西電力の業績が悪化した時期に役員報酬の一部カットを受けました。しかし2016年から2019年10月までひそかに補填を受けていました。その額は毎月90万円。さらに森山氏から巨額の金品を受け取り、後に国税当局に個人で修正申告で納税した分まで毎月30万円を会社から補填されていたというから驚きです。
豊松秀己 元副社長
補填をやめたのは金品受領問題が明るみになった翌月、2019年10月。関西電力は「金品受領問題で経営が悪化する可能性があるため廃止した」と説明していますが、第三者委員会に指摘されるまで自らの手で公表することがなかったことを考えれば、会社の隠ぺい体質が露呈したケースといえるのではないでしょうか。
元助役との癒着の構図
森山氏と原子力事業とのなれ合いの関係も報告書で明らかになっています。第三者委員会は「当社に対する寄与内容」という内部文書の存在を明らかにしています。この文書には森山氏が1970年代から1980年代にかけて原発事業にいかに貢献してきたか、具体的な事例が書き込まれています。
高浜町 森山栄治 元助役
中には助役として行う一般的な行為も記されていますが▽旧ソビエトチェルノブイリ原発事故に際し、地元団体からの町に対する陳情書を町かぎりにとどめ、公にしなかった▽高浜3号機での死亡事故時には、警察や関係者に圧力をかけて、事態を穏便に済ませてくれた▽交通事故等のトラブルに対し、素早く行動して地元から批判できないよう措置してくれたなどの事例もあげられています。

三者委員会も「適切な解決が行われているのか疑わしいものも多々含まれている」と疑問を呈しています。常軌を逸した電力会社の原発部門と自治体の幹部。すでに70年代から癒着の構図ができあがっていったことが読み取れます。
会社を一から作り直す決意はあるか
3月14日の記者会見 左:岩根茂樹 前社長 右:森本孝 新社長
部門ごとに事業を推進していった結果、壁ができて組織が硬直化し、まわりの正しい意見が耳に入らなくなり、次第に競争力を失っていく。企業経営の失敗例としてよく聞く話です。しかし、関西電力で信じがたい不祥事が起きていた現場は、プルトニウムを扱う原子力部門です。顧客である電気の利用者のことをみじんも考えずにただ、自分たちの理屈を優先し、発電事業を行うとしたらこんな危険なことはありません。

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かつて岩根社長が法人登記上の自宅にしていた「岩根家住宅」は、文化庁登録有形文化財に指定されている 

石垣と高い壁に囲まれた日本家屋。上の写真は大阪府富田林(とんだばやし)市の閑静な住宅街にある豪邸だ。そして、その表札には、「岩根茂樹」と書かれている。

「ここは関西電力社長である岩根茂樹(66)の実家です。土地の広さは360坪以上。岩根家は酒造業で財を成した地元の名家です。この一帯には岩根家の土地がいくつもありますよ」(近所住民)

関西電力の法人登記簿によれば、’16年5月まで岩根氏はこの豪邸を自宅としていた。その後、岩根氏は親族から市内の別の土地を相続して転居している。

 

(2枚目写真)

 

その一軒家も宅地は約90坪。落ち着いた外装の重厚な邸宅だ。

岩根氏をはじめ、関西電力八木誠会長(69)、今年6月に退任したばかりの豊松秀己元副社長(65)もそれぞれ立派な一軒家を所有している。

 (3〜4枚目写真)
 この3人を筆頭に、20人の関電幹部が、高浜原発のある福井県高浜町の元助役・森山栄治氏(今年3月に90歳で死去)から、’11〜’18年にかけて現金やスーツ、商品券、金貨、金杯、小判など計3億2000万円分の金品を受け取っていた。

10月2日の記者会見で公表されたその内訳は、岩根氏は150万円分の金品、八木氏は859万円分、豊松氏は1億1057万円分にもおよんだ。彼らの豪邸は還流した原発マネーによる「キャッシュバック」御殿でもあったのだ。

関電幹部にカネをバラまいていた森山氏とは、いったい何者なのか。

森山氏は’69年に高浜町役場に入庁。収入役などを経て、’77年から10年間にわたって助役を務めている。

「高浜原発の1号機の運転が開始されたのが’74年です。このときから森山氏は関電に入り込んでいきました。’85年に3号機、4号機が滞(とどこお)りなく増設できたのも、反対派を抑え込んだ森山氏の剛腕によるところが大きい」(地元電力事業関係者)

高浜町の町議である渡邊孝氏が言う。

「3、4号機の増設にあたって関電は高浜町に寄付金を出しているのですが、未だにいくら支払われたのかわかっていません。きわめて不明瞭な会計で、監査請求した団体もありましたが、却下されてしまいました」

そうした高浜町原発マネーの取り仕切りをしていたのが、森山氏だった。 

森山氏は’87年に助役を退任すると、町の教育委員長を務める一方で、関電の子会社である関電プラントの顧問に就任し、亡くなる直前まで報酬を得ていた。さらに森山氏は関電の原発関連業務を請け負う建築会社、メンテナンス会社、警備会社のそれぞれ顧問、相談役、取締役も務めていた。つまり、発注側と受注側の双方で役職に就(つ)いていたのである。

「森山氏が町政を実質的に牛耳っていたので、関電としては彼を押さえておけば、問題なく高浜町の電力事業を動かせたんです。高浜原発の増設のときは、本来ならば関電は町民のみなさんに説明会を何度も開き、お願いに回らなければならないはずですが、森山氏の存在もあって、その必要はほとんどなかった。地元では森山氏は『関電の弱みを握っていた』とまことしやかに言われていました」(前出・渡邊氏)

また高浜町の別の電力事業関係者はこう証言する。

「森山氏は町内で影響力のある人権団体を抑えることができる存在だと言われています。それが関電にとってありがたかった。9月27日の関電の記者会見で、岩根社長は『(森山氏から)人権教育を受けさせてもらったことは覚えています』と言っていました。あの発言は意味深でしたね」

高浜町の絶対的実力者だった森山氏と歴代の関電の原子力事業担当の幹部は、いわば「癒着」の関係にあったのだ。現在の経営陣である岩根氏は原子力保全改革推進室長、八木氏と豊松氏は原子力事業本部長を務めた経験がある。

「関電は’05年に原子力事業本部を大阪本店から福井県に移転しています。’06年に八木氏が同本部長代理に就任し、それ以降、歴代の原子力事業の幹部と森山氏の関係は、さらに深くなったと言われています。森山氏を怒らせて、高浜町原発事業に支障が出れば、自らの出世にも悪影響が出る。彼らは町長でもない元助役の森山氏に呼び出されては、『行かなきゃいけない』と言って宴席に出向いていました」(関西電力関係者)

岩根氏らは記者会見で金品を受け取った理由を「(森山氏に)恫喝(どうかつ)され、返却をあきらめざるをえなかった」と言い訳した挙げ句、まるで”被害者”のような顔をして辞任を否定した。

関西電力原発』の著者で、ジャーナリストの矢野宏氏が言う。

「岩根社長は自らも金品を受け取っていながら、すべての責任を森山氏に押しつけるような口ぶりでした。死人に口なしで、森山氏は反論できません。二人の役員は1億円以上ももらっていたわけです。『怖いから断れない』というのはありえないでしょう。当たり前のようにおカネをもらい、発覚すれば他人に責任をなすりつける。企業努力をせずに黙っていても利益が出るという電力会社の企業体質が露(あらわ)になりました。

関電は関西においては超一流企業だという強い自負がありますから、慢心や驕りもあったと思います。自分たちが原発を作って、地方におカネを回しているという考えのもとで、金銭感覚が鈍っているところがあったのでしょう。

今回の件は氷山の一角だと思います。八木氏以前の歴代幹部たちも多かれ少なかれ手を染めていたのではないでしょうか。原発を誘致した他の自治体でも同じことが起きていたと思われても仕方がないですし、他の電力会社でも起こりえます。また、原発マネーは政治家にも流れている可能性もあると思います。原発マネーの流れはまだまだわかっていない。今回はその一端が見えただけなのです」

あまりにも深い原発の闇。徹底的に実態の解明がなされるべきだ。 

岩根茂樹社長宅

大阪府富田林市内の高級住宅街にある。周囲は豪邸ばかりだが、この邸宅も引けをとらない大きさだった 

八木誠会長宅

土地の広さは約157㎡。大阪府高槻市内の静かな住宅街に、13年前に新築された。3年前に住宅ローンも完済

 

豊松秀己元副社長宅

京都府八幡市に新築されたばかり。土地の広さは174㎡。豊松氏は関電で「原子力のエース」と言われていた