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つれづれなるままに日暮らし

多神教であったイスラエル人は、古代エジプトから一神教を学んだ???

2012/11/13 - ユダヤ教の原形は古代エジプトで発生した. イスラエル人は一神教の崇拝者ではなかった。"ダビデの王国"が栄えた頃、すなわちイスラエルが栄光の中にあった時代には、イスラエル全土で多神教が信仰され、人々の家からはその証拠となる ...
 

ユダヤ教の原形は古代エジプトで発生した


イスラエル人は一神教の崇拝者ではなかった。"ダビデの王国"が栄えた頃、すなわちイスラエルが栄光の中にあった時代には、イスラエル全土で多神教が信仰され、人々の家からはその証拠となる祭壇や女神像が見つかっているという。王国が繁栄した時代、唯一神の信仰は、エジプトでアクエンアテンが改革を起こした時と同じく、王や一部の上層階級にしか浸透していなかった。しかし、多神教の証拠の出土は、バビロン捕囚の時代を境にぱったりと途絶える。

現在位置を確認します。より


イスラエルの墓地から多神教の祭壇出土

裕福な多神教徒が礼拝に利用していた約2000年前の祭壇がイスラエルの墓地で発見された。

ナショナルジオグラフィック ニュース 2010/5/31 

ユダヤ教の原形は古代エジプトで発生し、わずか10年ほど一神教の時代が続いただけで、一神教徒らはエジプトを追放されました(後に出エジプト記としてデフォルメされています)。

ツタンカーメン王墓から出土したという、バビルス文書のことを指していますが、世の中ではパピルス文書は幻であり、元々無かったとされています。しかし、バビルス文書は実存していたのであり、ユダヤ教には極めて都合の悪いことが書かれているため、今日まで隠蔽されている曰わく付きのモノです。このパピルス文書をこれまで辿ってきたことから勘案すると、問題の「出エジプト記パピルス」は、シオニズムの対義を踏みにじる恐れが多分にあった。なぜなら、ユダヤ人は神の命令により、また神に導かれたエジプトを脱出し、何十年もの砂漠の放浪の果てにようやく約束の地であるカナン=パレスティナに到着したことになっている。パレスティナの地に住み続けてきた現地アラブ人のことはまったく無視されている。パレスティナにおけるイスラエル人国家建設の正当性は、ユダヤ聖典に記された「神の約束」だけを根拠としているといっても過言ではない。その経過がもしユダヤ聖典以外の古文書に記されていて、しかも出エジプトのときの行状が「恥すべき」だと規定されているようなものであったとしたら、現実的な政治・思想運動としてのシオニズムは挫折する以外にない。

HP舎人学校より


アテンはアンクの古代エジプト新王国時代の呼び方で、アテン神信仰が一神教の始まりと考えています。キリスト教というのはご存じのように三位一体。イエスと天上の神エホバと聖霊がひとつとなっている。イスラムは一神しかない。親もなければ子もない。イスラム教になってやっと、本当の意味の一神教ができるのですが、その始まりがこのアクエンアテン王のアテン神信仰なんです。

HP遊学舎より
古代エジプトの太陽神。新王国時代になって太陽神の一人として神格化され,唯一絶対の神とされた。アクエンアテンの治世年と、出エジプトの年と推定される年代がほぼ同じである事を根拠に、古代エジプトのアテン神が同じ唯一神教であるユダヤ教の神ヤーウェの原形とする異説も存在する。

アテン - Wikipediaより
歴史最古の割礼は、紀元前のエジプトだと言われています。紀元前4000年頃のミイラに割礼の痕跡が見つかったそうです。

インターネット地域情報サービスより
古代エジプト人も割礼をしていた事が美術作品から認められる点で、ユダヤ人の祖先は割礼の習慣を、実は古代エジプト人から学んだのでないか、という推測もあります。