altgolddesu’s blog

つれづれなるままに日暮らし

楠木正成

千早赤阪村

1331年8月 第96代後白河天皇

選「楠木正成は悲劇の忠臣か」
皇国思想の象徴として奉られてきた楠木正成

ところが壮絶な最期を遂げる湊川合戦の3か月前不可解な「選択」をしていた。

正成の知られざるリアリストとしての素顔に迫る。

1331年後醍醐天皇天皇親政を目指し鎌倉幕府討幕に立ち上がると、獅子奮迅の活躍で建武新政の立役者となった楠木正成

2年後に足利尊氏が離反した後もあくまでも天皇の命に従い、最期は無謀とも言える戦いの末、自刃して果てた。

忠君の鑑(かがみ)とされる正成だが、近年その実像が少しずつ明らかになってきている。

実は天皇に背くとも思える行動をとっていた正成の真意はどこにあったのか?最新研究から見えてきたものは?

英雄たちの選択 (*)

太平記 楠木正成

鎌倉幕府 150年

300年