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つれづれなるままに日暮らし

元寇の役

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硫黄

https://www.nikkei.com/article/DGXKZO83195100U5A210C1MZC001/

蒙古襲来(元寇(げんこう)・文永弘安の役)は、たんに鎌倉時代史上の大事件というに留まらず、前近代日本史上屈指の対外戦争である。にもかかわらず、教科書や日本史・東洋史概説書の類(たぐい)で、元寇に関する記述は不正確で誤りが多いことは驚くばかりで、評者もこの点は以前から痛感していた。本書は、史蹟の地元にある大学の歴史研究者としての面子(めんつ)にかけて、元寇の史実を明らかにしようとした労作で、元寇研究史上、画期的な意義を与えられるであろう。

山川出版社・2400円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

本書の特色は、石清水八幡の神威を顕彰する目的で著された『八幡愚童訓』の史料批判を中心に、元寇にまつわる諸史実を確定すると共に、当時の気象条件を検討し、また絵巻物『蒙古襲来絵詞(えことば)』の復原的研究や、海中出土遺物などを総動員して通説の誤りを訂していった点にある。

著者の説でまず目を引くのが元帝が日本征服に固執した目的で、元の狙いは日本九州特産の硫黄にあったという。硫黄は火薬に必要でこの戦役が資源戦争であったという点に目から鱗(うろこ)が落ちる。また『八幡愚童訓』は戦った鎌倉武士を徹底的に怯懦(きょうだ)な者に描いており、戦後の学者連もそれに引摺(ひきず)られていることに著者は義憤を感じている。そもそも『愚童訓』のそんな偏向は、百年前の大正年間には指摘されていたのだが、それが不思議にも永く顧みられなかったのである。右のような著者の義憤には心から共感を覚える。

さて、弘安の役(一二八一年)の戦況論でも著者の説はユニークである。日本の学者は東路軍と江南軍の壱岐合流を重視するが、著者はあくまで志賀島方面に滞留した東路軍こそが主力軍(正面軍)で、江南軍は増派・別働隊だったと解釈する。また近年、江南軍は屯田兵であり、移民船団であるとの説が出されているが、著者は「最前線での屯田・開墾はありえない」としてこの説を却(しりぞ)けている。同感である。

とにかく、“神風”論は、当時一部にあった神国思想にも乗っかって流布した。近代に入って、気象学者や一部の軍人によって「愚童訓信ずべからず」と唱えられたが、“神風”を否定できない風潮が政治的に醸成された。それが戦後の学界にも一部継承された訳で、まことに私達としては自戒を要する点である。

大体、学者は、年を重ねると穏健化し、論争を避ける傾きがあるが、著者は不正確な通説に対してあくまで戦闘的である。その姿勢に敬意を表したい。

帝京大学特任教授 今谷 明)

文永の役弘安の役

蒙古襲来*