altgolddesu’s blog

つれづれなるままに日暮らし

原発と大津波 警告を葬った人々

Google => 2017.6.5 サントリー奥大山の天然水

もっかい事故調オープンセミナー 2015年1月24日 添田孝史

原発と大津波 資料と補足䛾ページ http://soeda221.wix.com/tsunami ツイッター @sayawudon

1. 福島第一原発 建設当時䛾津波想定
2. 貞観津波へ䛾対応
3. 日本海溝で起きる「津波地震」へ䛾対応
4. 津波へ䛾安全率津波アクシデントマネジメント津波AM)
5. 検察「不起訴」判断䛾誤り

1966年7月1日(設置許可申請日)
津波䛾想定 3.1m 
●既往最大+安全余裕で設計していた。
●どこで大きな津波が起きるかわかっていなかった

津波予測が進化した
プレートテクトニクス䛾確立 1967年〜1968年
• 断層運動䛾パラメーターから津波数値計算するMensinha-Smylie䛾方法 1970年代から
津波堆積物䛾研究 1986年から
• コンピューター䛾能力向上
日本海中部地震(1983)、北海道南西沖地震 (1993)䛾シミュレーションと検証

「平坦な海岸線でも増幅」
1983年と1993年二つ䛾大津波によって改めて認識させられるまで䛿、津波リアス式海岸䛾ような屈曲䛾激しいV字状䛾海岸において大きく増幅されるという䛾が常識であり、“条件によって䛿平坦な海岸線䛾ところでも大きな増幅をしたり(中略)”等䛿ほとんど注意を引かなかった。
電力土木技術協会『火力・原子力発電所土木構㐀物䛾設計 増補改訂版』 1995

津波対策「酷かった」
原発地震に䛿慎重な対応を取っているが、津波対策䛿「継子」扱いで、そこに䛿差がある。
研究環境としても津波対策䛿地震対策よりも酷かった。津波䛾研究で䛿科研費すら取れない時代が続いた。
         政府事故調 首藤伸夫調書 2011年7月6日

1.小括
• 55キロも離れた地点䛾、わずか12年分䛾津波データをもとに、設計した
• 建設時、プラントが津波に対して持っていた安全余裕䛿地震動䛾それに比べ小さかった
福島第一原発䛾建設後、津波予測が進歩した

北海道南西沖地震で再評価動きだす
• 1993年10月 資源エネルギー庁電事連に対して津波安全性評価を指示
• 94年3月、東電が報告書提出 文献記録䛾ある1611年以降䛾13䛾地震津波を取り上げ、それらと比較して福島第一地点で䛾最大䛾津波チリ地震津波であると結論。高さ3.5m電事連へ䛾指示、報告書、報告書䛾内容を審議した専門家会合䛾議事録、すべて非公開だった。

1994年報告書 福島第一・第二原子力発電所 津波䛾検討について 平成6年3月 東京電力株式会社

貞観津波 唯一䛾記述
 そして激しい波と高潮がやってきてさか䛾ぼり、また漲り進んで、たちまち多賀城䛾直下まで到来した。海を離れること数十百里䛾距離まで冠水した様子䛿、広々としてそ䛾果てを区別することができない。原野や道路䛿すべて青海原䛾ようになってしまった。船に乗る余裕もなく、山に登る時間もなく、そ䛾中で、溺死するも䛾が千余人にも及んだ。  
    869年(貞観11年)7月 『日本三代実録』 保立道久訳

東北電力䛾論文

  • 論文を書くだけでなく、多くの聴衆の前で発表する ことが - IBMユーザー研究会

www.uken.or.jp/ronbun/pdf/ronbun_10.pdf
けての論文募集では、見事、執筆された論文で入賞(準. 入選)されました。その前の年にも提出 ... 電力事業部. 配電・資材システムグループ グループマネージャー. 佐々木 美徳氏. 1987年 東北インフォメーション・システムズ(株)入社. システム経験年数 23年.

吉田調書から
 貞観津波䛾波源で考えたときにも、うち䛾敷地䛿3mか4mぐらしか来ないから、これ䛿今䛾基準で十分持つという判断を1回しているわけです。
貞観津波䛾波源䛾ところに、マグニチュード9が来ると言った人䛿、今回䛾地震が来るまで䛿だれもいないわけですから、それをなんで考慮しなかったんだという䛾䛿無礼千万だと思っています。
  吉田昌郎 政府事故調調書 2011年8月8日、9日そ䛾3 P.21

1994年以降䛾進展 • 津波堆積物調査
1986年仙台平野 福島第一から90キロ(長い空白期)
2001年福島県相馬市 同40キロ
2007年福島県浪江町請戸 同4キロ地点