謎多き日本古代史。 関口宏が知の巨人たちをパートナーとし、これまでの歴史学の枠を超え“日本の始まり”を解き明かす。
関口宏 松岡正剛(編集工学研究所所長) 吉村武彦(明治大学名誉教授)
<ラインナップ>
〇ヤマト政権、朝鮮半島に進出
〇古墳時代中期に馬が導入。それまでは牛も馬もいなかった?
〇倭の国王とは誰だったのか
<内容>
今回は古墳時代後半、390年代から500年代初頭を見ていきます。この頃、ヤマト王権はすでに活発な外交活動を展開していました。朝鮮半島にあった国の石碑には、当時「倭」と呼ばれたヤマト王権が、何度も朝鮮半島に進出したことが刻まれています。古墳時代にはすでに行われていた朝鮮半島への進出。その目的は何だったのでしょうか?
中国の歴史書には「讃」「珍」「済」「興」「武」と名乗る、倭の5人の王が中国に使いを送ったことが記されています。
「倭の五王」と呼ばれる王たちの正体とは?
500年代になると、ヤマト王権は越の国と呼ばれた、現在の福井県より継体天皇を迎えます。
そして、ヤマト王権最大の内乱が起こるのですが、その背景には一体何があったのでしょうか?
『宋書(そうじょ)』と『南史』では
讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)、
「讃」「珍」「済」「興」「武」
武(ぶ)は、日本国内の古墳から出土した刀剣に記された銘文により
雄略天皇の可能性が高まっている。
『梁書(りょうしょ)』 ... 中国史料にその名が伝えられた5世紀の5人の倭国王。
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