altgolddesu’s blog

つれづれなるままに日暮らし

時論公論「ソビエトクーデター未遂事件30年 その意義とロシアの民主主義」

ソビエト保守派クーデター未遂事件から30年。ソ連崩壊への歯車を大きく進め、民主化の原動力となったこの事件を、保守化が進む現在のロシアではどう見ているのか。 

ゴルバチョフ連邦大統領が病気で職務執行不能となりました」
(1991年8月19日ソビエト国営テレビ ニュース)

 1991年8月19日ソビエトの改革を進めたゴルバチョフ失脚という衝撃のニュース、ソビエト共産党、軍、治安機関の保守派が民主化の流れを止めようとした事実上のクーデターでした。
しかし民主化を支持する市民が立ち向かいました。私は抵抗の拠点となったロシア最高会議ビルの周りで取材していましたが、特殊部隊が制圧に来るとの情報が流れる中、数万人の群衆が恐怖にひるむことなく集まっていました。その声は今も耳の奥に残っています。

クーデターの失敗はソビエト連邦崩壊への歯車を大きく進めました。この時の民主主義の勝利がロシアの出発点となっています。しかし皮肉なことにプーチン体制の今、クーデター派に通じる保守的な感情が強まり、「民主主義の勝利」は忘れられようとしています。
今日はクーデター未遂事件の歴史における重要な意義となぜそれがプーチン体制のロシアでは忘れられているのか、考えてみます。 

www.nhk.or.jp 

f:id:altgolddesu:20210823150209p:plain

ソビエト連邦は、ロシアやウクライナやなど15の共和国を束ねた連邦で、正式名称はソビエト社会主義共和国連邦共産党一党独裁に基づく中央集権体制でした。
しかし91年当時、ソビエト連邦は大きく揺らいでいました。
連邦の大統領はゴルバチョフ、改革は行き詰まりを見せていました。独立の動きを進めるバルト三国、一方最大の共和国ロシアも国家主権を宣言、エリツィン氏が大統領に就任し、ウクライナなどほかの共和国と連携を強めていました。連邦の大統領がいてロシアの大統領がいる。双方の綱引きが連邦の基盤を揺るがしていました。ゴルバチョフは連邦を維持するためにロシアやウクライナなど9つの共和国と共和国の権限を大幅に拡大した新たな連邦条約・主権国家連邦条約で合意、調印は8月20日に行われることになっていました。その前日に軍と治安機関のトップを含む連邦の保守派が国家非常事態委員会を組織して事実上のクーデターを起こしたのです。社会主義ソビエトという言葉もない新連邦条約の内容に激怒し、連邦を守る試みでした。クリミアの別荘に休養中だったゴルバチョフ大統領を病気として軟禁、19日秩序と国の統一の回復を訴えて全権掌握と非常事態をテレビで布告、モスクワには戦車部隊を導入しました。

www.google.com 

www.google.com

altgolddesu.hatenablog.com