にっぽん縦断 こころ旅 蔵出しスペシャル「2017年4月 兵庫県」
「こころ旅」今週は「蔵出しスペシャル」!この日は2017年4月、兵庫県の旅を29分に凝縮! 地元グルメに恋の季節!「ええとこ連れてきてもろた」絶景と初公開映像!
「にっぽん縦断 こころ旅」今週は過去の旅から未公開の秘蔵映像や名場面を交えて29分に凝縮した「蔵出しスペシャル」!この日は2017年4月、桜満開の兵庫県の旅を29分に凝縮! 地元グルメに舌鼓!伝説の〇〇〇〇事件!?ワイルド!?恋の季節!? そして火野さんが「ええとこ、連れてきてもろた」としみじみつぶやいた絶景! 懐かしの名場面・珍場面はもちろん、初公開映像も続々!いつもと違う、濃縮版「こころ旅」!
安倍 晴明(あべ の せいめい、延喜21年1月11日[1]〈921年2月21日〉 - 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉)は、平安時代の陰陽師。「晴明」を「せいめい」と読むことが多いが、これは音読みであり、諱本来の読み方は確定していない。鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏流土御門家の祖。官位は従四位下・播磨守。
921年(延喜21年)に摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれたとされる。また、生地については、奈良県桜井市安倍とする伝承もある。幼少の頃については確かな記録がないが、陰陽師賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたという。加茂氏の門下生であり、のちに両家は二大陰陽家となる[5]。
948年(天暦2年)大舎人。960年(天徳4年)40歳で天文得業生(陰陽寮に所属し天文博士から天文道を学ぶ学生の職)であった晴明は村上天皇に占いを命ぜられており、出世は遅れていたが占いの才能は既に貴族社会で認められていたことが伺える。50歳頃、天文博士に任ぜられる。貞元2年(977年)、保憲が没した頃から陰陽道内で頭角を現す。陰陽寮を束ねる陰陽頭に就任することは無かったが、位階はその頭よりも上位にあった[6]。
979年(天元2年)、59歳の晴明は当時の皇太子師貞親王(後の花山天皇)の命で那智山の天狗を封ずる儀式を行う。
このころから花山天皇の信頼を受けるようになったらしく、記録にしばしば晴明が占いや陰陽道の儀式を行った様子が見られるようになる。花山天皇の退位後は、一条天皇や藤原道長の信頼を集めるようになったことが、道長の日記『御堂関白記』などの当時の貴族の日記から覗える。そのほか、『小右記』によると、正暦4年(993年)2月、一条天皇が急な病に伏せった折、晴明が禊(みそぎ)を奉仕したところ、たちまち病は回復したため正五位上に叙された。また、『御堂関白記』によると、寛弘元年(1004年)7月には深刻な干魃が続いたため晴明に雨乞いの五龍祭を行わせたところ雨が降り、一条天皇は晴明の力によるものと認め被物(かずけもの)を与えたことなどが記されている[7]。
陰陽師として名声を極めた晴明は、天文道で培った計算能力をかわれて主計寮に異動し主計権助を務めた[8]。その後、左京権大夫、穀倉院別当、播磨守などの官職を歴任し、位階は従四位下に昇った。さらに晴明の2人の息子安倍吉昌と安倍吉平が天文博士や陰陽助に任ぜられるなど、安倍氏は晴明一代の間に師である忠行の賀茂氏と並ぶ陰陽道の家としての地位を確立した。
博物館・資料館[編集]
- 大将軍八神社(方徳殿)(京都府京都市上京区一条御前西入ル3西48) - 土御門家(安倍家)の天文学資料などが見られる。
- おおい町暦会館(福井県大飯郡おおい町名田庄納田終111-7) - 土御門(安倍)家ゆかりの土地で、土御門家に係る暦の資料などが見られる。
寺社[編集]
- 福島稲荷神社(福島県福島市宮町1番29号)- 安倍晴明が詔を奉じて奥羽下向の際、吹島の里(後に福島と改む)に社を建て豊受比売大神を総鎮守とした。
- 羽黒山真浄院(福島県福島市清明町6-17)- 朝廷は安倍晴明と蘆屋道満の二人を東奥(福島)に遣わして悪さをする杉の精を封じ祀ったとされる。その功を称え境内に晴明塚が建てられた。
- 川口神社(千葉県銚子市川口町2丁目6378)- 安倍晴明と延命姫との悲恋の伝説の舞台である。
- 晴明稲荷(千葉県銚子市飯沼町2)- お社は道路の中央分離帯に建立されている。明和元年(1764年)旧飯沼村の森田家により建立されたものである。
- 明王山真福寺(千葉県銚子市橋本町2290)- 境内にある「晴明堂」は安倍晴明に恋をした「延命姫」が身投げした「通蓮坊」に元々あったものを移設した。
- 和田山不動堂(千葉県銚子市植松町)- 安倍晴明が延命姫より逃げる際に駆け込んだとされる不動尊。
- 常燈寺(千葉県銚子市常世田町53-1)- 常世田薬師とも呼ばれるこの寺にて、晴明を追った延命姫が三日三晩の行を行なったところ。
- 五方山熊野神社(東京都葛飾区立石8丁目44-31)- 東国では数少ない晴明の所縁の神社。安倍晴明がこの地に立ちよった際、神社の中川によって作られたこの土地を清浄なる聖地として選び、境内を正五角形に造設、熊野三社を勧請した。[18]
- 八雲神社(神奈川県鎌倉市山ノ内585)- 境内に近くから移設された「晴明石(別名:びっこ石)」と呼ばれる石がある。
- 第六天社(神奈川県鎌倉市山ノ内)- 建長寺の鎮守神である、第六天社境内に「安倍晴明の碑」がある。
- 翁稲荷社(静岡県静岡市駿河区稲川1-2-25) - 駿府で唯一安倍晴明公が祀られている神社。
- 水神宮(静岡県掛川市横須賀) - 安倍晴明が勧請したといういい伝えがある神社。
- 風祭山福王寺(静岡県磐田市城之崎)- 境内の「晴明堂」に安倍晴明権現として祀られ毎年3月8日に風祭りの行事がある。[19]
- 吉祥山能満寺(静岡県榛原郡吉田町片岡2499-3) - 寺伝によると境内の蘇鉄は、陰陽学者である安倍晴明が中国から、長徳元年(995年)持ち帰って植えたといわれている。
- 晴明神社(愛知県岡崎市本町通3丁目5番地) - 平安朝の頃、安倍晴明が諸国遊歴の折この地に居を構え陰陽術を伝えた。[20]
- 晴明神社(愛知県岡崎市唐沢町7番地) - 安倍晴明が諸国巡礼中に当地唐沢に居住との伝承があり、晴明屋敷と呼ばれていた。
- 北明治稲荷社(愛知県安城市明治本町4) - 安倍清明の母葛葉(狐の化身)の子孫の狐の伝承があり、江戸時代に葛葉稲荷または四本木稲荷と呼ばれていた神社。
- 名古屋晴明神社(名古屋市千種区清明山1丁目6番地) - 987年(寛和3年)安倍晴明がこの地(尾張国狩津荘上野邑)に在住していたと伝わる。
- 上野天満宮(名古屋市千種区赤坂町4-89) - 京都を追われた花山天皇に仕えていた安倍晴明一族の一部が、この地に移り住み菅原道真のために建立した。
- 葛ノ葉稲荷社(愛知県あま市篠田稲荷17) - 大阪府和泉市の信太(しのだ)から「葛ノ葉稲荷」を勧請したと伝えられている。
- 新屋神社(愛知県あま市新居屋善左屋敷67)
- 日吉神社(愛知県海部郡蟹江町学戸2丁目62)- 五芒星を社紋とする「日吉神社」。ここ神社の鬼門(北東の方角)250m先に晴明塚がある。
- 晴明神社(岐阜県大垣市上石津町下山2730)- 御祭神は、「建沼河別命」と「安倍晴明公」。
- 正光寺(岐阜県大垣市上石津町下山2662)- 境内には、「安倍晴明祈り石」がある。
- 石神神社(三重県鳥羽市相差1237) - 神明神社の摂社。
- 木田神社(福井県福井市西木田2丁目6番27)-境内社に安倍晴明を祀る「晴明神社」がある。地域では火伏せ(火災除け)の神として篤く信奉されている。
- 賀茂神社(福井県福井市賀茂町7-1)- 遠祖賀茂氏(陰陽師安倍晴明の師匠)より伝えられし守札の秘伝書により「自己祓用の陰陽串」や慎重に謹製した「300種以上の特別調整守札」を授与している。
- 天社土御門神道本庁(福井県大飯郡おおい町名田庄納田終字白矢) - 安倍氏土御門家が泰山府君祭料地として朝廷から賜り、応仁の乱時に安倍氏当主が移住して以来、同家の役所が置かれていた。現在、土御門家が霊元天皇から賜った「天社宮」の宮号と、陰陽道由来の土御門神道を唯一継承している。
- 土御門総社 (福井県大飯郡おおい町名田庄納田終字白矢) - 土御門神道本庁の祭祀場。元は安倍氏土御門家居館跡地とされる。天壇は石葺きの二重壇で形成され、四方に黒(北)・青(東)・南(朱)・白(西)の四色の鳥居が立つ。天壇正面には泰山府君社と鎮宅霊府社、さらに葛乃葉稲荷神社がある。周囲には禊場跡の「晴明不動」もある。
- 加茂神社(福井県大飯郡おおい町名田庄納田終字馬場)- 納田終にある加茂神社は、当地が安倍氏土御門家の領地になった際に京都より勧請したとされている。貴船神社、さらに天社宮泰山府君社、安倍氏土御門家が祖神とした善積河上大神社を併祀し、この四社をもって主祭神とする。年に二回ある祭礼は同神社独特の「特殊神事」。
- 納田終薬師堂(福井県大飯郡おおい町名田庄納田終)- 伝説では前九年の役で捕縛された安倍宗任の持念仏である薬師如来を子孫が名田庄に安置したと言われているが、詳細は不明。
- 許波神社(頭巾山山頂)- 福井県と京都府の県境にある標高871mの山の頂上にある社祠。
- 晴明神社(福井県敦賀市相生町8-20)- 安倍晴明が陰陽道の研究に使った御神体の「祈念石」が拝殿内にがあり拝観(要予約)できる。その祈念石には「六芒星」が描かれている。
- 園城寺(滋賀県大津市園城寺町246)- 泰山府君の法を使う安倍晴明の説話「泣き不動縁起」の舞台となった寺院[21]。
- 晴明神社(京都府京都市上京区晴明町806番地)- 一条戻橋のたもと(北西)にあった晴明の屋敷跡に鎮座する、安倍晴明を祭神として祀る神社。境内には晴明が念力により湧出させた井戸「晴明井」がある。[22]
- 清浄華院(京都府京都市上京区寺町通広小路上る北之辺町395)- 安倍晴明の説話「泣き不動縁起」絵巻を収蔵する寺院。
- 大将軍八神社(京都府京都市上京区一条通御前西入3丁目西町55)- 大将軍とは陰陽道にいう星神天大将軍で方位をつかさどる神。
- 稲住神社(京都府京都市下京区梅小路石橋町97-1)- 土御門家の祖といわれる安倍晴明を祭神とする神社。境内には奥に本社、手前に魔王尊社がある。
- 閑臥庵(京都府京都市北区烏丸通鞍馬口東入278) - 黄檗宗の庵。安倍晴明が貴船神社(貴布彌山)に安置されていた鎮宅霊符神を当地に遷座し、神像を開眼したという。
- 円光寺(京都府京都市下京区梅小路西中町67)- 土御門家の屋敷があったとされています。天体を観察し、その動きによって占ったことから一族が使った天文観測器、渾天儀の礎石が残されている。
- 鍵達稲荷神社(京都府京都市南区唐橋西寺町 西寺唐橋公園となり) - 稲住神社と共に土御門家屋敷の鎮守社だった。
- 梅林寺(京都府京都市下京区梅小路東中町1)- 土御門家の菩提寺。安倍家歴代の位牌40基以上が祀られている。中庭に日時計「大表土台」がある。※観光寺院ではないので見学の際は事前に連絡が必要。
- 命婦稲荷神社(京都府京都市下京区堺町通り松原下る鍛冶屋町)- 晴明が、鬼と化した公家の娘である橋姫を「鉄輪井(かなわのい)」に封印し退治したという井戸を祀った神社。
- 神泉苑(京都府京都市中京区門前町166)- 平安時代に日照りが続いた時、雨が降る祈りの儀式が行われる場所であった。
- 遍照寺(京都府京都市右京区嵯峨広沢西裏町14)- 「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」の中に、安倍晴明による「遍照寺」での出来事が記されている。
- 真如堂(京都府京都市左京区浄土寺真如町82)- 真如堂で晴明が死んだ時、不動明王像が現れ「この者はまだ死ぬべき定めにない」と訴えたために、閻魔大王から「生き返った後、人々を救うために使いなさい」と五芒星の印判「決定往生の秘印」を受け取り、この世に蘇ったと伝えられている。土御門泰福の墓がある。
- 安倍文殊院(奈良県桜井市阿部645) - 境内にある「安倍晴明堂」は、かつて晴明が天文観測をしていたと伝えられることから建立された。同じく境内にある金閣浮御堂は、安倍一族を奉る御堂で、中には安倍仲麻呂像や安倍晴明像が秘像として奉られている。
- 御門神社(奈良県桜井市阿部753) - みかどの神は、第八代孝元天皇の皇子である大彦命の子孫に当たる「安倍晴明公」をお祀りした社。伝によれば土御門家が建立したという。
- 吉水神社(奈良県吉野郡吉野町吉野山) - 吉水神社境内にある北闕門には、安倍晴明と芦屋道満に由来するセーマン(五芒星)とドーマン(九字切印)の踏み石があり、「九字真法」の作法で邪気払いができる。
- 安倍晴明社(和歌山県田辺市龍神村殿原1025)- 恩行司の川底で神秘の光を放つ玉石を村人が拾い上げ、これを晴明のご神体であると考え、谷口の里に祠を建て「安倍晴明大明神」と祀っている。
- 熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1)- 花山法皇が那智に籠ったとき、天狗が様々な妨害をしたので呼び寄せた安倍晴明により、二柱の式神をもって魔物たちを岩屋に狩り籠めたと『源平盛衰記』(巻第三)に記述されている。
- 阿倍王子神社(大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町9-4) - 境内末社「葛の葉稲荷神社」に「葛之葉稲荷大神」として安倍晴明が祀られている。
- 安倍晴明神社(大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16) -「阿倍王子神社」の境外末社。社務所内に「占い相談コーナー」も設けている。[23]
- 泰名稲荷神社(大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16) -「安倍晴明神社」の境内末社。安倍晴明の父親の名前を冠した神社。
- 聖神社(大阪府和泉市王子町919) - 安倍晴明の母親であるとされた九尾の狐・葛の葉がいたという「信太の森」は、この神社の杜を指す。
- 旧府神社(大阪府和泉市尾井町2丁目3) - 境内に「葛の葉物語」の中で安倍晴明の母親である葛の葉が逃げるときに、化けた(隠れた)白狐化石という岩がある。
- 信太森葛葉稲荷神社(大阪府和泉市葛の葉町1丁目11-47) - 「葛の葉物語」の舞台となった場所で、清明の母・白狐が住んでいたと伝えられる。
- 妙心寺派慶明寺(兵庫県神戸市西区平野町慶明97)- 慶明寺境内に晴明自筆と伝える、自然石に梵字が彫られている石碑がある。
- 阿部神社(岡山県浅口市鴨方町小坂東字阿部山)- 安倍晴明がかつて居住したとされる阿部山(屋敷があったのは遙照山という説もある)の山頂付近に鎮座している。名は「安倍神社」とも。
- 清明大権現の祠(岡山県浅口市鴨方町小坂東字阿部山)- 安倍晴明がかつて居住したとされる阿部山の「安倍清明屋敷跡」近くにある。
- 冠纓神社(香川県高松市香南町由佐) - 安倍晴明が神主をしていたという伝承がある神社。丸亀藩の広撰地誌によればこの地が出生地との伝承がある。
- 安那明神社 (広島県福山市神辺町三谷) - 同地には「晴明末裔」と称する一族が在住しており、同神社はその一族の氏神。昭和30年代には当時の土御門家当主が祭主として大祭が行われている。
- 善通寺(香川県善通寺市善通寺町3丁目3-1) - 「今昔物語集」に伝わる話では讃岐を訪れた晴明が暗い夜道を式神に松明を持たせて歩いていると善通寺の前を通りかかった際に式神が逃げてしまった。「弘法大師が書いた山門の額が霊験あらたかで前を通れなかった」と式神が言った。
由緒地[編集]
- 高松家(茨城県筑西市猫島)- 私有地内に氏神として「晴明神社」が祀られる。敷地内には「晴明井戸」もあるが、神社、井戸とも非公開
- 屏風ヶ浦(千葉県銚子市三崎町1丁目)- 延命姫から逃げる安倍晴明は屏風ヶ浦「通漣坊」にて着物と履き物を脱ぎ捨て投身自殺を装い、自らは近くの寺に身を隠したという。その晴明の着物と履き物を見て延命姫が身投げした場所。
- 晴明石(神奈川県鎌倉市山ノ内585)- 「びっこ石」とも呼ばれるこの石を、知らずに踏めば足が丈夫になり、知っていて踏めばびっこになるといわれ、晴明が厄除けのために置いた石だという伝承がある。元は山之内道の十三堂橋付近にあったそうですが、道路拡張に合わせて「八雲神社」境内に移設された。
- 安倍晴明の碑(神奈川県鎌倉市山ノ内)- 山ノ内道のJR横須賀線踏切近くにあり、この碑の辺りに安倍晴明の屋敷があったといわれている。
- 晴明井戸(神奈川県鎌倉市)- かつて北鎌倉駅の近くに「晴明井戸」と呼ばれる井戸があったようだが、現存不詳。
- セーメーバン(山梨県大月市)- 安倍晴明に由来するという伝承のある山。
- 晴明塚 (静岡県掛川市大渕) - 晴明が津波被害の話しを聞き、あずき色の小石を積み上げて祈祷し、以後この村だけ津波の被害がなくなったと伝えられている。作家・日下由紀恵が訪れたことで近年パワースポットとして再び注目されている。
- 安倍晴明硯井戸 (静岡県掛川市) -
- 阿寺の七滝(愛知県新城市下吉田沢谷下25-3)- 晴明が若年期に滝で修行したという伝説が残る地。
- 晴明井戸(愛知県名古屋市西区城町84)- 晴明が十文字と鯉の形をした木を沈めて祈祷をして、湧出させたという井戸の伝説がある。平田城址の説明板の横にある。
- 晴明塚(愛知県あま市新居屋清明19番地)- 晴明がこの地を通った時、田の雑草に百姓が困っていることを知りその害を除く祈祷を行ったという伝承地。
- 晴明塚(愛知県海部郡蟹江町蟹江新町上之割27)- 日吉神社の鬼門封じの場所。晴明が火伏せの祈祷を行った場所とされ、その時に用いた刀や法螺貝を埋めた場所と伝えられる。教育委員会の説明板が立っている。
- 安倍晴明祈り石(岐阜県大垣市上石津町下山2662)- 猛獣や毒蛇に困っていた里人の話を聞いた安倍晴明が正光寺境内の祈り石前に立ち、南方500mの山麓にある巨石に向けて呪文を唱え、災いを封じたとされる。
- 喜八河戸(岐阜県揖斐郡藤橋村東横山地内)- 晴明が諸国巡遊の途中、当村の住人喜八の家に宿した折に湧き出る清水の効力を褒めた現存する井戸。
- 晴明藤のつり橋(岐阜県揖斐郡揖斐川町西横山)- かつて3年に一度架け替えるための晴明手植えの榎があった。
- 土御門家(安倍家)墓所(福井県大飯郡おおい町名田庄納田終第152号5番地の2)- 安倍晴明を祖とする安倍家三代の墓所があり、その近くには陰陽道祭祀・儀式などをおこなったとされる施設と館跡の遺跡が残されている。
- 祈念石(福井県敦賀市相生町8-20)- 晴明神社社殿内に、安倍晴明が陰陽道の研究に使った御神体の「祈念石」があり拝観(要予約)できる。その祈念石には「六芒星」が描かれている。
- 一条戻橋 (京都府京都市上京区堀川下之町)- 「戻橋」の下に、晴明は大きな石櫃を隠していた。中には晴明が操る式神十二神将がいて、晴明の命令に従っていたと言われている。
- 猫又滝 (奈良県吉野郡十津川村折立)- 晴明が笠塔山で悪さをする妖怪を「妖怪降伏の護摩を焚く」祈祷により封じたとされる場所。
- 笠塔山 (和歌山県田辺市龍神村殿)- この山で妖怪を晴明が退治した伝承がある。
- 晴明塚 (大阪府河内長野市原町3丁目6)- 晴明が死が迫った事を悟り秘伝書『金烏玉兎集』を焼いて、灰にも霊力があるとされたため深く埋めて塚にしたという伝説がある。
- 晴明自筆の碑 (兵庫県神戸市西区平野町慶明97)- 神戸市にある慶明寺に晴明自筆と伝える、自然石に梵字が彫られている石碑がある。
- セイメイさん (兵庫県加古川市上荘町国包)- JR加古川線の厄神駅建築工事中に掘り出された顔像が刻まれた石板。病気平癒に霊験あらたかとされる。
- 晴明塚(兵庫県佐用郡佐用町大木谷甲)- 晴明塚と呼ばれる「宝篋印塔」が木谷甲にある。すぐ近くの木谷乙には、ライバルの『道満塚』もある。
- 阿部山 (岡山県浅口市) - かつて安倍の屋敷があり、天文観測を行ったとされる場所。
- 安倍清明屋敷跡(岡山県浅口市鴨方町小坂東字阿部山)- 晴明がかつて居住した。
- 清明の井(福岡県太宰府市朱雀4丁目18-55)- 晴明が開いたと伝えられる井戸。
生誕地[編集]
- 晴明橋公園(茨城県筑西市猫島762)- 「簠簋抄(ほきしょう)」に書かれた「簠簋内伝」の由来に、ここ猫島に安倍晴明誕生の伝承が記されている。公園内に「安倍晴明生誕の地」の石碑がある。
- 安倍寺跡(国の史跡、奈良県桜井市安倍木材団地1-11-10安倍史跡公園内)- 安部一族発祥の地とされ、安倍晴明もこの地に誕生したと伝わる。旧大和国十市郡桜井の安部。
- 晴明公産湯井の跡(大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16)- 安倍晴明が生まれたとき産湯に使った井戸が「安倍晴明神社」の境内にある。
- 讃岐国香川郡由佐(香川県高松市香南町)- 丸亀藩の公選地誌「西讃府志」によれば、安倍晴明が讃岐国香川郡由佐に生まれたとされている。
墓所[編集]
- 安倍晴明墓所(長野県木曽郡木曽町新開)- 長野県木曽町にある安倍晴明のお墓には、晴明の像と安倍家の家紋である「晴明桔梗印」(五芒星)が記されている。
- 安倍晴明墓所(京都府京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町12)- 安倍晴明は寛弘2年(1005年)9月26日に85歳で亡くなり、嵯峨野の「塔頭・寿寧院」に葬られたと伝わっている。荒廃していたため、1972年に晴明神社、天社土御門神道の協力の下、晴明神社奉賛会により神道式に改修・建立されて、現在晴明神社の飛び地境内として管理されている。
- 法城寺大黒堂(京都府京都市東山区)- 五条大橋の北にある中州に建てられたが、度重なる鴨川の氾濫により滅失する。その後「法城山晴明堂心光寺」(三条大橋東)に「晴明塚」として移設再興されたが遺失。
- 東山区松原通宮川筋入ル(京都府京都市東山区宮川筋)- 「法城寺大黒堂」にあった遺骨を、鬼門封じのためこの地に埋葬したとの伝承がある。
- 遣迎院の南にある竹藪(京都府京都市東山区本町19丁目)- 安倍晴明は東福寺門前の本町通に屋敷を構え、かつてその近くの遣迎院の南にある竹藪に墓所が存在していたと伝わるが現存しない。
- 晴明霊墳(岡山県浅口市金光町占見宮東)- 「晴明霊墳」の石碑は、明治22年建立とある。この「晴明霊墳」碑から500mほど東の荒神社の隣に「道満」碑も鎮座する。