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つれづれなるままに日暮らし

ラスト トーキョー

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ラストトーキョー “はぐれ者”たちの新宿・歌舞伎町」は、歌舞伎町のほど近くで45年、新宿で一番古い麻雀店を営むディレクターの母親の姿を中心に、この街で出会った人々の人生や、変化の波にさらされる様子を約2年にわたって記録したセルフ ...

アジア最大級の歓楽街、新宿・歌舞伎町。東京オリンピック・パラリンピックを前に再開発が進むこの街に、NHKのディレクターが潜入しました。
「ラストトーキョー “はぐれ者”たちの新宿・歌舞伎町」は、歌舞伎町のほど近くで45年、新宿で一番古い麻雀店を営むディレクターの母親の姿を中心に、この街で出会った人々の人生や、変化の波にさらされる様子を約2年にわたって記録したセルフドキュメンタリーです。

柚木映絵ディレクターに番組を企画した理由や、歌舞伎町で撮影をして何を感じたのかを聞きました。

 「歌舞伎町には絶対に入るな」

──この番組を企画した経緯と自身のお母様を取材した理由を教えてください。

私は新宿の近くで生まれ育ちました。母は新宿で45年間麻雀店を営んでいるので、私にとっての新宿・歌舞伎町は“母が生きてきた場所”です。同時に幼いころから「歌舞伎町には絶対入るな」と母からキツく言われ、遠ざけられてきたところでもありました。ただ、NHKのディレクターとして働きはじめたころから、実は母の店って題材としておもしろいんじゃないかなと思うところはありました。

母は、新宿・歌舞伎町が再開発で変わりつつあることを嘆き、平成が終わる2019年4月末で店を閉めると言い出したのです。それで、“これはいまこそ歌舞伎町に入るべきでは?”と思ったんです。 

──どれぐらいの期間、撮影をされたのでしょうか?

2017年冬からスタートし、今年の7月上旬までです。スマートフォンを使って自宅でも撮影していました。だからテレビに映せないような格好をしていたり……(笑)。でも、娘の私だから聞けること、撮れたものもあったと思います。

──番組にはお母様とともに、柚木ディレクター自身も登場しますね。カメラの前に立つことに抵抗はありませんでしたか?

ふつうはあると思うんですけど、ディレクターという職業柄、私は人をメディアにさらす立場じゃないですか。だからもし、自分が出る必要があるならば出たほうがいいとずっと感じていました。テレビを見ていて「これはいったい誰の目線で語っているのかな?」と疑問を抱くことも多々あったので、未熟でもいいし、間違ってもいいから、ディレクター自身の目線や言葉のほうが伝わるものがあると考えたからです。これはいわゆるセルフドキュメンタリーと呼ばれる手法ですが、実は海外では、若手はまずセルフドキュメンタリーから作り始めるそうです。

 “いま”を生きている人々

──実際に歌舞伎町に足を踏み入れ、感じたことは?

母が歌舞伎町を語るとき、「毒の持つ美しさ」という言葉がよく出てきます。悲喜こもごも合わせ、良いも悪いもごった煮ゆえの美しさ。確かに、狭くて古くて汚い部分もたくさん見ました。でもなぜか、それがなくなるかもしれない思うと、何とも言えない気分になりましたね。その言語化できないモヤモヤは一体なんなのか。比較的貧困層が暮らす地域が、再開発によって高級化し、しばしばもともといた人々を追いやってしまう現象をジェントリフィケーション(Gentrification)というそうです。番組では、その言葉を入り口にしつつ、母との会話や出会った人々との出会い、変わりゆく街の姿を通じて、そこを探っていきます。

──撮影前に想像していた歌舞伎町と、実際の印象に違いはありましたか?

これまでは「飲んだくれ」や「ヤクザ」がたくさんいるんだろうなと思っていました。ところが、いまはエンターテインメントシティでわりとクリーン! 子ども連れや外国人観光客もたくさんいますし、意外と怖いものが見えてこなかった。こちらがお金や愛欲など、何らかの強い「欲」を持っていない限りは、きっと何も起こらないのでは? という感想を持ちました。

それから、“人付き合いの街”ということもあわせて痛感しましたね。メールや電話ではなく、生身の人とのやりとりが大切な街です。取材も直接行って話をすれば通る場合が多かったり、母が長年知っているからこそお話してくださる方も多かったり、そこにいることが大事なのだなと。歌舞伎町って意外と狭いので、みんなお互いに顔を知っている。だから一人でも違う人間がいると、すぐわかるんですよね。

──撮影中のエピソードを教えてください。

2年近く撮影をしていたので、本当にたくさんの方々と出会いました。歌舞伎町でカメラをまわしていると、だいたい誰かが「何の番組?」なんて話しかけてくれます。「NHKのドキュメンタリーです」と返すと「そうなんだ、このカメラって種類は?」、「飲みに行こうよ」とか(笑)。ある日、放送日を聞かれてお伝えしたら、冗談を交えながら「1か月以上先だと“シャバ”にいるか、わかんねーわ」と言われたこともありました。良くも悪くも刹那的でいまを生きているのだなと思いましたね。いましか考えられないぐらい、切羽詰まっているとも言えるのかもしれません。 

──特に印象に残った人は?

「歌舞伎町俳句一家・屍派」という、夜な夜な歌舞伎町で俳句を詠み歩く集団のリーダー・北大路翼さんは強烈でした。北大路さんはプロの俳人で、彼がその場にいるとやかましくて、デタラメな空気が自然とできあがってくる。もちろん良い意味で、です。お話をしているとなんでも受け入れてくれるような、器の大きさを感じました。 

 “はぐれ者たち”の最後の牙城・歌舞伎町

──この番組の取材を通して、お母様との関係に変化はありましたか?

母とは過去のことを含め、いろいろなことを話しました。今までは「お母さん、新宿で生き抜いてきてすごい!絶対にかなわない…」という風に思っていたんですよ。それがコンプレックスでもあった。だけど話していくうちに、自分との違いがよく見えてきました。尊敬は変わらないけれど、母には母の人生があって、私にも私なりの人生があると思えるようになりました。

「新宿の地下にはぬしが住んでいて、人々の足音を食べて生きている」って、母はいまでも言うんですね。取材を通じてそれもなんだかわかりました。時空も超えたような摩訶不思議まかふしぎな空間なんですよ、本当に。撮影を終えて街を出たとき、「あれ、私はどこに行ってたんだっけ?」と浦島太郎の気分になることもありました(笑)。 

──最後に視聴者へメッセージをお願いします!

「ラストトーキョー “はぐれ者”たちの新宿・歌舞伎町」いうタイトルには、“はぐれ者たち”の最後の牙城であろう新宿・歌舞伎町は、東京で昔ながらの何かが残っている最後の場所…という思いを込めました。

放送時間が99分と長い番組なので、それぞれのスタイルで楽しんでいただければと思います。私の母と年齢が近い方は、親の目線で子育てについて考えるかもしれませんし、「あぁこの逡巡しゅんじゅんわかるなぁ」と感じられるかもしれません。逆に私と同年代の30代前半の方や、それより若い世代の方々は、もしかすると私と同じく、自分への物足りなさやむなしさ、何かが欠けているかも…というモヤモヤを抱えているかもしれません。そういう方が少しでもスッキリしたり、ちょっとでも前向きになれたりしたら幸いです。この番組を通じて、“何か”を得てもらえたらうれしいです。

柚木親子が飾ることなく本音をさらけだす会話にもご注目ください!